bm-koishikeribu(yui)
M-CHARI-METAL

ベビメタ小説-『チョークで書かれた道標②』


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 3月18日

 すべてが無くなった。
 すべてが。

 恨みが残り続ける様に、今日あった事を書き残す。

 火葬場から骨壺を抱えて店に戻った。
 日中なのに店のドアは開いていた。
 店の中にはリョーとチンピラ達がいた。
 リョーは
 「あの子が言ってた通り、ついに沙織姉さん死んじまったんだねぇ。あたしゃ姉さんの人脈が怖くてねぇ。これで気兼ねなく、この店を手に入れる事が出来るよ。」
 とケタケタと笑いながら言った。
 「なんで、こんな時間にあんたがいるのよ!手に入れるって何よ!!」
 「さーて。私の持ってるこれは何でしょう?」
 「な、なんで、あんたがそれを持ってるの?き、金庫は!?」
 店の二階にある事務所の金庫を見に行くと、金庫は開けられていた。
 「暗証番号付きの金庫だからって、あんた金庫の鍵をカギ穴にさしたままにする事があるだろ?だからスペアを作っておいたのさ。暗証番号とこの店の権利書の場所だけが分からなかった。だから店の数か所に隠しカメラを仕掛けてたのさ。この間の朝、慌てて金庫を開けてただろ?その時に暗証番号を押す手元と金庫の奥に隠したこの封筒がバッチリ映ってた。」
 「か、返してよ!!」
 「ばーーか。返す訳ねぇーだろ!沙織姉さんがこの店を売りたがってるって言ってたねぇ。あーはっはっは、あたしが代わりに高値で売り飛ばしてやるよ!!」
 「お願い!お願いだからママのお店を!!」
 「ん?あんた、その手に持ってるのはなんだい?骨壺かい?昔あたしを口うるさくイジメ倒した説教ババァの骨壺かい?貸しな!!」
 そう言うとリョーは無理やり骨壺を奪い取り、高々と持ち上げると、そのまま床に叩き落とした。
 そして、そして。リョーは床に散らばるママの遺骨を踏み砕こうとした。

 慌てて、体でママの遺骨に覆い被さり、踏まれない様にするけど、お構いなしでリョーは遊んでるかの様に笑いながらママの遺骨を踏み潰していく。
 ママの遺骨を守る為に、ママの遺骨を頬張る。
 「こいつ、親の骨を食ってるぞ!あーっはっは。ほら、ほら!全部食わなきゃ次々に踏んで粉々にしちまうよ!!」
 と言いながら、リョーは赤夜の背中をゲシゲシと踏みつけ続けた。
 赤夜は泣きながら、ママの骨を食べ続けた。それしかママを守る方法が無いと思ったから。
 粉々に砕けた骨も床を舐めて食べた。
 一粒残らず。
 その時にはもう、リョーは赤夜に近付いて来なかった。
 「気持ち悪いガキだよ!ほら、あんた達。このガキを店から追い出しな!!」
 そして赤夜は、ママとの店を追い出された。
 チンピラ風の男の一人が、無言で旅行バックを2つ押し付けてきた。
 一つは、マンションからお店へ引っ越してきた際に使った、赤夜の黒い大きな旅行バック。
 もう一つは、見慣れぬ赤い大きな旅行バック。
 リョーは、お店の扉に背を預け「戻って来ても、入れないからね!」と言った。
 一度だけ、ママのお店を振り返ってみた。
 繁華街に埋もれる小さな二階建ての建物。
 高校に上がるまで、お店の扉を一歩も跨ぐ事はなかった。
 ママの仕事場であり聖域って思ってたから、高校に上がり掃除を手伝いに行った時も居心地が悪かった。
 愛着無い建物のはずなのに、赤夜の知らないママの思い出が詰まった場所と思うと・・・。
 扉のそばにリョーがまだいた。リョーはうつむき携帯で電話をしていた。

 ママも失い。
 マンションも失い。
 黒夜も失い。
 そして、ママのお店も失った。
 思い出も、今も、未来も。
 全て失い何も残っていなかった。

 公園のベンチで月を見続けた。
 涙と心が枯れるまで見続けた。
 夜が明けるまで見続けたのに、世界は暗いままだった。
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MOA 「はぁぁぁ。」

最愛は、深い深いため息を吐いた。
頁をめくる腕が、すごく重い。
文字を追う毎に、上から押さえつけられる様な圧迫感。
そして、体中を下から上へと冷たい手で撫でられる様な、恐怖心。
体が自然に震える。

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 3月19日

 黒い旅行バックの内ポケットに『LEGEND I、D、Z』が入っている。
 二つの旅行鞄バックを引き、もあちゃんを見たくてインターネットカフェに泊まった。
 インターネットカフェのある建物に入る前、交差点の対角線を見た時、黒夜がいた様な気がした。
 きっとキモチワルイエガオなんだろう。
 2日ぶりに水分を取った。ドリンクバーのコーンスープを口に入れる。
 何も味がしなかった。
 熱さすら感じない。
 飲み終わった後、口の中の皮がベロベロに剥けた。
 火傷をしたようだったが、痛みは無かった。
 『LEGEND D』をセットして再生した。
 そこには、もあちゃんが映ってなかった。
 赤夜のもあちゃん、どこに行ったの?
 武道館に行けなかったから、もう会えないの?
 なんで武道館行けなかったんだっけ?
 誰を殺せば行けたんだっけ?
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 3月20日

 部屋から一歩も出ていない。
 なんで、赤夜はここにいるんだろう?
 狭い場所は嫌いなのに。
 黒いバックと赤いバック。
 赤は開けちゃいけない色。
 黒は見つめちゃいけない色。
 ママは赤夜のお腹で育ってる。
 今は昼なのかしら?夜なのかしら?
 昼でも真っ暗だから、夜かしら?
 夜はみんな死ぬのかしら?
 赤夜が殺していいのかしら?

 『LEGEND D』をみる。
 すぅちゃんが歌ってる。
 ゆいちゃんだけが踊ってる。
 きっと、ゆいちゃんがもあちゃんのいる世界に連れて行ってくれる。
 赤夜にもあちゃんの場所を教えてくれる。

 隣の部屋で歌声が聞こえる。
 小さな小さな声で歌ってる。
 この歌って何かしら?
 聞いてると、涙が出て来る。
 『ゼッタイ』って何?

 小さな小さな声で、
 「明日は学校よ。最後の学校よ。」
 って教えてくれた。
 明日は最後の学校だ。
 チョークで大きく書かなくちゃ。
 サヨウナラって書かなくちゃ。
 やっと終わりが訪れる。
 やっと向こうへ走って行ける。
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 3月21日

 今日は頭がスッキリしてる。
 最後の学校に行かなきゃ。
 黒いバックに綺麗にたたんだお気に入りの黒いワンピースが入ってた。
 部屋を出よう。
 シャワーを浴びよう。
 冷たいお茶を1杯だけ飲もう。
 部屋に戻って、黒いワンピースに着替えよう。
 肩から財布と携帯の入った小さな黒いエナメルの鞄を下げる。
 黒い旅行バックは右手。
 赤い旅行バックは左手。
 そうだ『赤夜の章』を鞄に仕舞わなきゃ。
 『赤夜の章』は赤夜の全て。
 消えてなくなった心が書かれた誰にも見せられない秘密の日記。

 みなさん、さようなら。
 ママ、こんにちわ。
 ゆいちゃん、赤夜を連れてって。
 もあちゃん、黒夜、いらっしゃい。

 チョークで赤夜をみちびいて。
 みんなと一緒にみちびいて。
 終わりの世界にみちびいて。
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ここで日記は終わっていた。
最後の3日間の文字はかろうじて読めるという位に乱れていた。
3月21日の最後の方は、書き殴るという表現そのままの字体であった。
最愛は最後の文章を見つめ、ぼそりと呟いた。

MOA 「・・・違う。・・・『で』が違う。・・・なんでなの?」

最愛は、『赤夜の章』をリュックにねじ込む。
そして、慌てて立ち上がると懐中電灯を手に正面の黒板に駆け寄った。
黒板に現れた赤いチョークの文字を読んでゆく。
そこで、最愛は立ち尽くしてしまった。

MOA 「なんなの?すぅちゃん!どう言う事なの!!・・・そんな、馬鹿な。・・・そんな、黒夜が。」

最愛は膝から崩れ落ち、その場にへたり込んだ。
再び建物が『ボォォォ~~~ッ。』っと唸りを上げ建物全体が僅かに震える。

MOA 「すぅちゃんに会わなきゃ!すぅちゃんから話しを聞かなきゃ!!・・・でも、すうちゃんじゃ・・・」

・・コン・・・コン。
・・コン・・・コン。

右手に見える鍵をかけた引き戸から、扉を叩く音がする。
その音は低く、4回規則的に無機質な音を奏でる。

・・コン・・・コン。
・・コン・・・コン。

MOA 「・・・すぅちゃん?」

最愛は扉に向かい声をかけるが、返事はなかった。
最愛は、ゆっくりと立上り、ふらふらと扉に近付いた。
そして、不用意にガチャリと引き戸の鍵を解除した。

・・コン・・・コン。
・・コン・・・コン。

最愛は、左手に懐中電灯を持ち、右手で扉をゆっくりと開いてゆく。
開く扉の向こうには闇が充満していた。
懐中電灯で照らさなければ、わずか10cm先すら見る事の出来ない闇が満たされていた。
最愛は左手は下ろし、懐中電灯は最愛の足元のみを照らす。
右手はカラカラカラと扉を開ききる。
そして最愛は、ビルの屋上から身を投げ出すかの様に、右足から一歩、闇に向かって身を投げ出した。

その瞬間。
開かれた手の平が最愛の目前に現れ、最愛の顔面を鷲掴みにがっしりと覆った。

最愛の顔面を覆う手の指先に力が入り、綺麗に切り揃えられた爪が、最愛のこめかみにめり込む。
そして、闇の中へ引き抜かれる様に引っ張ってゆく。
最愛は、その感情と温もりの無い冷たい真っ白な手の平から、由結の匂いを感じた。
垂れ下げた懐中電灯の灯りと共に左手を正面に向かって上げてゆく。
顔面を覆う右手の指の隙間から、最愛の左目は灯りが照らす先を捉えていた。
由結の足元から灯りは上がって行き、灯りは黒いワンピースが包む腰、腹、胸へと照らす。
そして、顔を照らそうと左手を更に上げる。
懐中電灯の灯りが最愛を掴む右腕を照らしてゆく。
その右腕の肩には、左手が添えられていた。

ドン!!

最愛の顔面を覆う手の平から、銃弾が眉間に撃ち込まれた様な衝撃を受け、最愛の全身がビクンと大きく痙攣する。
ぞふっ。と、最愛の脳に金属が撃ち込ま続ける様な致命的な感覚の中、最愛の眼球が宙を泳ぐ。
眼球が最後に捉えたのは、由結の向こう側の闇の中だった。
そこには、血色の様な真紅の瞳を見開き、キモチワルイエガオが張り付く、すぅの顔が闇に溶ける様に浮かんでいた。

・・・・・。
・・・・。
・・・。

最愛は、黒いタールの様な液体の上を浮かんでいた。
左右共に水平線まで続く広い海の様な液体の上に、孤独に浮かんでいた。
只々、何も考えず、何も思い出せず、孤独に独り浮かんでいた。
空に大きな黒い太陽が浮かんでいる。
空はとても低い。見える空の向うは闇が広がってるのがわかる。
頭を少し起し、足元の方向を見る。
左右と変わらず、水平線まで続くタールの海だった。
海と表現したが、波など全くなく静まりかえっている。
頭の方向を見ようと、背中を反らす。
頭の方向50m先辺りに巨大な柱が立っていた。
直径は30m程だろうか、南部鉄の様な艶の無い黒い柱が立っていた。
綺麗な円柱では無い。
ゴツゴツとした巨木の様な柱だった。
それが天空を貫く様にそびえ立つ。
柱の先端は見えず上空の闇へと消えている。

最愛は、タールの液体を右手ですくう。
すくい取った液体は手の平でぷるぷるとゆれる。
タールと言うよりコーヒーゼリーに近い。
水面の中が気になる。
意識した途端に、体がズブズブと液体の中に沈み始めた。
最愛は、まったく慌てなかった。
今度は真っ暗な空へ意識を向ける。
体の沈みは止まり、また水面をぷかぷかと浮き始める。
また、液体の中に意識を向ける。
ズブズブと沈み、そのまま10m以上沈んでゆく。
水面を眺めながら、足をバタ足の様に動かす。
頭の方向に、スーっと進んでゆく。
周りには泡のような色々な色の球体がゆらゆらと沢山浮かんでいた。
その一つに手を当てる。直径30cm程度の薄いクリーム色の泡の玉だった。
すると、頭の中に今朝食べた朝食の記憶が流れた。トーストとハムの味が頭の中を広がる。
次に、直径40cm程の薄い水色の泡の玉に手を当てる。
今度は、今日のレッスンの時の体の動きが頭の中に流れる。
水色の泡の玉の周りにくっ付く様に浮かぶ直径10cm程のピンク色の泡の玉にも手を当ててみる。
この泡の玉は音の記憶だった。レッスンの時に流れていた音楽が頭の中に流れる。

最愛は、更に頭の方向に進んでゆく。
体を反転させ、進む方向を見る。
正面に黒い柱の水面下が見える。
黒い柱の水面の下は、2m程液体の中に柱が沈み、そこから短い根の様なモノを少しだけ広げていた。
その根は、長いモノでも1m程度で、根の先がゆらゆらと揺れ動きゆっくりとその根を伸ばし続けている様だった。
根の成長は1分間で10cm程度に感じる。
根の周りには、黒い色の泡の玉が複数浮かんでいた。
その中の直径3m程の黒い泡の玉に手を当てる。
頭の中に、闇の中から迫る白い手の平が見え、慌てて泡の玉から手を離した。
最愛は、水面の上に意識を向ける。
体は、真っ直ぐに登って行き、水面から浮かび上がる。
そして、そのまま水面の上に立ち上がった。
正面には、南部鉄の様な巨大な柱がそびえ立っている。

MOA 「・・・はぁ。まいったね。
   黒い泡玉に触って思い出したよ。
   そう言えば、由結に襲われたんだった。いや、赤夜さんかな?
   って事は、ココは死後の世界?
   こっちの世界にまで進出しちゃったよ。
   でも、だとしたら変だなぁ。
   なんで、ココには最愛しかいないんだろう?」

最愛は右手を伸ばし、目の前のそびえ立つ巨大な柱に触った。
ズブズブと最愛の右手が、柱の中に入って行く。
そして、ビリビリと痺れるような痛みに襲われ、慌てて右手を引いた。

MOA 「な、なに?見た目は鉄の様に堅そうなのに、このコーヒーゼリーみたいな海と同じ様なモノで出来てる!
   このコーヒーゼリーと違って、この柱に触るとビリビリチクチクして痛い!
   なんか、この世界に有ってはいけないモノな気がする。」

最愛は、再び柱の中に右腕を肘まで入れる。その中で何かに触り慌てて右手を抜いた。

MOA 「この柱の中にも、泡玉がある!
   頭の中に、学校の記憶が流れた。
   廃墟になる前の、生徒たちがいる学校の記憶。それも木工室の記憶。
   なんなの?
   ここは何?」

最愛は、再びコーヒーゼリーの海の中に潜った。
そして、その中に浮かぶ泡玉を手当たり次第に触って行く。
更に深く潜り、泡玉に触り続ける。
そして、一気に水面上に浮上する。

MOA 「このコーヒーゼリーの海、液体じゃない!
   この中でも息が出来る!ううん。違う。呼吸って意識が無い。ずっと息を止めてても平気なんだ。
   で、この中の泡玉は、全部最愛の記憶だった。
   深い所に行くほど、昔の記憶だったり大事な記憶だったり。
   このコーヒーゼリーの海は最愛の記憶の海?
   じゃぁ、この柱は何?
   中に入ってみるしかないの?
   うぅ。ヤダなぁ。でも・・・。
   ・・・えいっ!!」

最愛は、柱のゼリーの中に飛び込んだ。
全身を針で刺される様な痛みが襲う。その中で何とか2つの泡玉に触る事が出来た。

MOA 「痛い痛い痛い痛い!!
   何なの、このゼリー!?
   最愛の事をチクチク攻撃してる!
   意味わかんないよ!!
   で、でも、わかった事はある!
   ここは最愛の記憶の世界。
   そこに何故か、赤夜さんの記憶の柱が刺さってる。
   触った泡玉の一つは、黒いドームの模型を作ってる所だった。
   もう一つは、黒夜さんの顔。
   教室で、引き攣った様な笑顔を浮かべてた。
   この柱の中を泳いで行けば、今回の事件の全てがわかるはず!
   赤夜さんの事も、黒夜さんの事も、そして すぅちゃん の事も!
   で、でも痛くて入れないよぉぉ。」
1133. M-CHARI-METAL 2016年07月25日 16:01 ID:dRkXXcwx0
最愛が頭を抱える中、音も何もないこの世界に急に雨が降り出した。
赤い小さな小さな泡玉の雨が。
コーヒーゼリーの水面がさわさわと細かく波打ち、降り注ぐ赤い小さな小さな泡玉を飲み込んでゆく。
南部鉄の様な黒い艶消しの柱の表面もまた、さわさわと波打ち、赤い小さな小さな泡玉を飲み込む。
そして、赤い泡玉が柱に付着し飲み込んだ箇所から、わずかな艶が現れてゆく。
最愛は両手を広げ、その赤い小さな小さな泡玉を受ける。

MOA 「すぅちゃんだ!すぅちゃんが歌ってる!!
   すぅちゃんの歌声が、この赤い雨になって最愛の世界に降り注いでる!!
   凄く気持ちい雨だよ!すぅちゃんの歌が聞こえる素敵な雨だよ!!」

 どうして眠れないの♪
 どうして夜は終わるの♪
 要らない何も明日さえも♪
 君がいない未来♪
 どうして笑ってたの♪
 どうして寂しかったのに♪
 誰も知らない本当はただ♪
 そばにいてほしかった♪

すぅ の歌声が赤い泡玉となり降り注ぐ。
最愛は、若干艶の出た柱に再び右腕を差し込む。
チクチクとはするが、耐えられない痛さではない。
中で手の平を開く。
不思議な事に、手の平はまったく痛くなかった。
そっと、柱から右腕を抜き手の平を見ると、すぅ の歌声を浴びた手の平に薄い泡の膜が出来ていた。
この膜が最愛を柱のゼリーから守っている様だった。

 チ・ク・タ・ク シチャウ♪
 キモチ 止マラナイヨ♪
 チ・ク・タ・ク シチャウ♪
 キモチ アイスクリーモ!!♪

すぅ の歌が次の歌へと変わる。最愛のパートも由結のパートも1人で歌っている。
『いいね!』になった途端、柱の表面のざわめきがより大きくなる。
柱に飲み込まれた『いいね!』の泡が『NO RAIN, NO RAINBOW』の時以上に柱に艶を出させていく。
最愛は水面の上をクルクルと踊りながら、すぅ の歌声の赤い泡玉を全身に付着させていった。
そして、踊りながら最愛はズッキューン!!と頭から柱に飛び込んだ。

コーヒーゼリーの海と異なり、柱の中の液体は砂鉄の様な黒い砂の様な粒を多く含んでいた。
この砂鉄の様な粒により巨大な柱は南部鉄の様な色合いになっている様だった。
柱の中に入った事により分かった事は、ピリピリチクチクと攻撃していたのは、その砂鉄の様な黒い粒であり、0.5mm程の球状に1mm程の棘の尖ったで覆われたウニの様な形状をしていた。そのウニ状の粒子が、すぅ の歌声である赤い小さな泡玉に触れると若干の光沢を出しながら棘の丸まった“こんぺい糖”の様な形状へと変わっていく。
最愛は、全身を すぅ の歌声の赤い泡玉で覆った為に、ウニ状の砂鉄の様な粒に攻撃される事無く、柱の中にいてもコーヒーゼリーの海の中にいる時と同じ様に痛み無く泳ぐ様に動く事が出来た。
最愛は、巨大な柱の中の中心で上を見上げた。
そして、バタ足する様に足を動かし、柱の中を泳いで上がってゆく。
心の中で、「もっと早く!」と意識する。
すると、バタ足の速度と関係なく、泳ぐ速度が徐々に上がって行く。
逆に止まって周囲の見渡そうと意識する。
すると、進む速度は遅くなり、次第に止まった。
この世界では、体を動かす以上に意思の力が、強く行動に影響する事に最愛は気付いた。
最愛は、再び上方に意識を向ける。

MOA 「イメージは鉄腕アトム。ホントはウランちゃんが良いけど、ウランちゃんは飛べないからね。10万馬力に最愛はなる!!・・・よし!行っくよぉーーッ!!」

最愛の言葉と同時に、足の裏からジェットを噴出するかの如く凄まじい勢いで、最愛は柱の中を飛び進み駆け上がって行った。
数秒間登って行った所で、最愛は慌ててブレーキをかける。
柱の外の景色が急に変わる境目がこの先に有るのだ。
最愛は、柱から頭だけをヒョコンと出し、廻りの様子を伺う。
空の天井の境目の様だった。
大気圏と言うよりも、東京ドームの屋根に近い印象だ。
この世界は東京ドームの内側で、その天井を突き破って巨大な柱が突き刺さっている。東京ドームはガラスクロスとフッ素樹脂製の白い膜で出来ているが、この世界の膜は僅かに透過性の有る黒い膜で覆われていた。
黒い膜の向う側は、完全なる闇だ。
黒い太陽と見えていたのは、巨大な円形で膜が薄くなっている、又は違う材質の部分があり。その部分から、染み入る様に すぅ の歌声の赤い泡玉がこの世界に入り込んでいた。
最愛は、頭を整理する。

MOA 「最愛はたぶん死んでいない。
   ・・・たぶん。
   いやいや、ゼッタイ!
   由結が憑り付かれたとしても、最愛を殺すなんてありえない!!
   うん!ありえない!・・・ありえない、よ・ね?
   この世界が死後の世界じゃないとしたら、やっぱりココは最愛の精神世界だ。
   最愛の今の姿は、最愛の魂の姿でいいのかな?
   で、ドームの屋根の向うが、最愛の精神の外の世界。
   ・・・不用意に出ると死ぬのかな?
   それとも幽体離脱?
   とりま、それは後で考えよう。
   えーと、なんだっけ?
   そうそう、扉を開けたら由結の手に掴まれて、そしてドン!ってされたらこの世界に来たんだった。
   って事は、あの『ドン!』はこの柱が最愛の精神世界に刺さった衝撃?
   この柱が、由結の精神世界から来てるとしたら、このまま柱の中を飛んで行けば由結の精神世界の中に飛び込めるのかな?
   すぅちゃんの歌声が最愛を由結の世界に行けって言ってる気がする。
   実際にすぅちゃんの歌声のおかげで柱の中を進める様になったし。
   ・・・でも、ホントにこの歌声は、すぅちゃんの歌声なのかな?」

最愛は、この世界に来る前に見た、黒板の文字を思い出していた。
そして、頭を抱えた。
そこに書かれていた事は、若干 すぅ から聞いた話と異なっていたからだった。

最愛は、目を瞑り柱の中でプカプカと浮かぶ。
そして、黒板の文字を思い出していた。
すぅ から聞いた文字と異なっていたのは、後半の部分数か所だった。

   ≪もあちゃんの記憶は消しておいた。部分的に吸収しただけだから、きっかけがあれば思い出す。≫
   ≪もあちゃんがゆいちゃんを救う時、あの子の闇も晴れるはず。≫
   ≪ごめんなさい。この方法しか思いつかなかった。私達にはもう時間が無いの。≫
   ≪私の呪う気持ちが全ての原因。≫
   ≪すぅちゃん、あなたの体を私に貸して。≫
   ≪あなたの中で、全てを語ってあげる。≫
   ≪ありがとう。≫
   ≪そうよ。私は黒夜。私の名を呼んで。≫
   ≪ふふふっ。呼んだね。≫
   ≪騙される方が悪いんだよ。≫
   ≪ほら。もう無駄だよ。契約はもう行われたからね。この体を早く渡しなさい!!≫
   ≪なんなの?あなたの心は!?ゆいちゃんやもあちゃんと構造が違い過ぎる!多重構造!?≫
   ≪半憑依か、仕方ないわね。≫

と書かれていた。

すぅ は黒夜に憑り付かれている。あの文字からすると確実に。
でも、由結と状態は違う様に思えた。
最愛と普通に会話をしていた時の すぅ を思い出すが、いつもの すぅ だったと思う。でも思い返すと何か違和感はあった。最初に怖い話として すぅ が今回の事を話し始めた時、自分から怖い話するなんて すぅ らしくないと感じた。話している最中も頻繁に違和感があった。最愛の様子や由結の様子を覗き込む時の眼差しが、今までに すぅ から経験した事の無い湿度を孕んだ重い眼差しだったのだ。

MOA 「でも、話し終った後のすぅちゃんは、ゼッタイにすぅちゃんだった。ここに来た時もずっとすぅちゃんだったと思う。・・・半憑依・・・。どんな状態なんだろう。」

最愛はプカプカと柱の中を浮かんだまま、すっと移動し柱の外に左手だけ出した。
そして、すぅ の歌声を左手に浴びる。
『いいね!』から『君とアニメが見たい』に歌は変わっていた。

MOA 「すぅちゃんが歌う『君とアニメ』久しぶりだ。・・・うん。やっぱりこれはすぅちゃんじゃなきゃ歌えない歌声だ。歌に意思が詰まってる。『由結を助けて!』って気持ちがギューギューに詰まってる!!よし、柱の中を通って向うに行こう!!」

柱の中で、横になりプカプカと浮かぶ最愛はクルッっと縦に起き上がった。
上を見上げる。
柱の外に広がる、最愛の精神世界との境界を表すドームの屋根。
その境界付近では、柱の中にも向こう側とこちら側と分かる境界が有った。
砂鉄の様な粒も濃度が上がっているのだ。
最愛は両手を上げ、頭からプールに飛び込む様に砂鉄の様な粒の濃い柱の中にゆっくりと飛び込んで行った。

柱の外は濃い闇だった。
柱の内側にまで、その闇の色は影響し暗い。
最愛は振り返り、自分の精神世界を外側から眺める。
ドームの外側の屋根が見える。まるで巨大なコーヒーゼリーの様に黒く艶やかで輝いている様に見えた。
砂鉄の様な粒が濃く浮かぶ柱の中を最愛はゆっくりと進んでゆく。
暗闇の中から直ぐにまた境界が訪れる。
おそらく、由結の精神世界だ。

白く艶やかな杏仁豆腐に、この柱と同じ南部鉄の様な黒く艶消しの肌がマーブル状に模様の様に入っていた。
その、黒い艶消しの部分はこの柱を中心に侵食する様に広がっていた。巨木から木の枝や根が広がる様に由結の精神をこの柱である赤夜の精神が侵しているのだ。
最愛は境界の直前で立ち止まり息を整える。
そして、この先で行わなければならない事を口に出して整理する。

MOA 「ここから先は、由結と赤夜さんの精神と記憶の世界。
   ここまでの柱の中にある赤夜さんの記憶の泡玉は小さくて、その瞬間を写真の様に切り取っただけ。少し大きいのも数秒の動画って感じだった。
   由結の世界は赤夜さんに侵食されてるみたいだけど、柱の中には由結の記憶が無い。
   つまり、混ざり合っている訳ではないのか。
   赤夜さんの精神が巨木の様な柱となって由結の精神世界に突き刺さり、枝や根を広げているって感じだな。
   由結の世界から、この柱を引っこ抜けば・・・きっと、由結は元に戻る。
   由結の精神世界で、やらなきゃならないのは・・・。
   赤夜さんの日記に書かれていない最後の日の記憶の泡玉を探し出す。
   その泡玉に触れて、亡くなった日の真実を知る。
   由結の精神世界から由結の魂を見つけて開放する。
   赤夜さんの精神を由結の精神から追い出す。
   で、急いで最愛の精神世界に戻る。
   これでいいかな?」

そう呟くと、最愛はクルッと反転して、今まで由結の精神世界を頭上で眺める状態から、足元に広がる様に体勢を変えた。
そして、足のつま先から柱の中を通り由結の精神世界へゆっくりと入って行った。

由結の精神世界に入った途端に、柱の中は視界がほぼ黒と言ってよい程に砂鉄の様な粒の濃度は濃くなり、由結の精神世界の外でゼリー状の液体と感じていた感覚もグミの中にいる様な状態と感じる様になっていた。
その砂鉄の様な粒が、最愛の存在を異物と感じだしたのか、柱の中心から外側に向かってどんどんと最愛を押し出して行く。
最愛は鉄腕アトムのイメージをより強くし、柱の中に留まろうとするが、最愛を押し出そうとする力の方が強く、抵抗するも虚しく最愛は柱の外へと押し出されてしまった。

柱の外の由結の精神世界は、暴風雨を伴う嵐の様な状態だった。
強風が右から左からと吹き荒れ、その強風の中で舞う すぅ の歌の泡玉が豪雨の様に最愛の全身を叩きつけ体に積もる様に付着してゆく。
その、すぅ の泡玉の荒れ狂う流れを見た途端に、全身に叩き付ける様な強烈な風を感じ、最愛は慌てて吹き飛ばされぬ様に必死で巨木の柱の表面に体全体でしがみ付いた。
周囲を見渡すと、巨木が天井へと枝を広げ、枝は檻の様に入り組んでいた。
両手で巨木にしがみ付きながら、体をずらし直径2m程の枝の1本に降り立った。
巨木の幹の表面は、ゴツゴツと瘤の様に隆起し凸凹としていた為、両手を広げてでっぱりを掴む事により、なんとか飛ばされずに体を安定させる事が出来た。そっと手を離すと直ぐに上下左右から無規則に吹きすさぶ風に全身を持って行かれそうになる。
必至で暴風と戦いながら、最愛は見上げた。
見上げた先である頭のすぐ上には、由結の精神世界の天井が広がっていた。天井の膜は、片手を目一杯伸ばせばギリギリ届く距離だった。
その天井の表面に柱から伸びる枝がその内側にへばり付き、覆う様に枝分かれして行く。
天井に貼り付く枝の中から直径4cm程の細い枝を見つけ出す。その枝以外は柱に近い為、細くても30cm以上は有りそうだった。

最愛は吹き飛ばされそうな暴風の中、体を柱の表面に押し付ける様に両足に力を入れ、ゆっくりと左手を離し、天井に貼り付く見つけた直径4cmの枝へと手を伸ばしていく。そして、その枝を左手で掴むと渾身の力を入れ引っ張った。
南部鉄色のグミの感触の枝は、引張られると共にベリベリと剥がれ、その下から杏仁豆腐の表面の様な艶のある天膜が覗く。

MOA 「うわぁ。握った感触マジでグミみたい。キモチ悪っ!
   って、さっきまでこの中に居たんだった。
   うん。思ったほど、しっかりと天井にくっ付いてはいないな。そこまで力を入れなくても天井から剥がれそうだ。
   もし、この枝が由結の精神と同化してたら、この巨木の柱を由結の世界から抜いた時に、由結に何か影響が出るかもって心配したけど、同化じゃなく表面に貼り付いているだけっぽい。
   無理やり引っこ抜いても、由結の精神に問題は無いかも。
   それにしても、なんていう風だよ。精神状態が荒れてるって事か?
   気を抜くと吹き飛ばされそうだよ!
   ん?すぅちゃんの歌が『ウ・キ・ウ・キ★ミッドナイト』になってるな。
   よし、この樹からジャックと豆の木みたいに急いで降りるか。
   えっと、次の足場は・・・。
   ・・・あっ!!!!!」

突然、最愛が剥がした枝がグネリとうねり、また天井の膜に再び貼り付こう持ちあがった。
その枝の動きで最愛の左手は上に引っ張られ、大木にしがみ付いてた右手と両足が宙を掻いた。更に暴風が最愛の体に叩き付け、最愛の左手までもが握っていた枝から離れてしまった。
最愛は、慌てて周囲に広がる枝を掴もうとするも、どの枝も幹が直径1m以上と太過ぎる為、しがみ付こうと力を入れる前に暴風で体を煽られ、掴みきれずに吹き飛ばされてしまう。両手両足を広げて枝に引っ掛ろうとするも、するすると枝の間をすり抜け、そして足場となる枝の一切ない空中に放り出されてしまった。

最愛は暴風の中、嵐の中の落ち葉の様に虚空を舞った。上も下も右も左も分からずクルクルと、すぅ の歌の泡玉が舞うのと同じ様に凄い勢いで流されていった。

MOA 「ヤ、ヤバい!!最愛の精神世界と同じなら、数キロ下の水面に叩きつけらちゃうよ!!
   そ、そうなったら、か、確実に死んじゃうよぉ!!!!」

そう思った途端に、あれだけ最愛の体を翻弄した風を全く感じなくなり、最愛の体は凄い勢いで水面に向かって自由落下して行った。
不思議な事に、凄い勢いで落下しているというのに空気の抵抗を全く感じなかった。
真空の中を羽と鉄球が同じ速度で落下する実験を見た事があるだろうか。それと同じ様に最愛の体は真空の中を落下する羽の如く垂直に空気の裂け目を落ちて行った。

MOA 「キャァァァァァァァッ!!
   し、死ぬぅぅぅぅぅっ!!」

最愛は両手両足を広げ風の抵抗を受けようとする。空気の抵抗が無い為、こんな事をしても無駄だとは思いながらも何とかしなきゃと体が勝手に動く。
死を覚悟した落下の最中、最愛は「ふふっ。」っと笑った。

MOA 「由結の中で死ぬのか・・・。
   ライバルの胸の中で息絶えるって感じ?
   恋愛映画みたいで悪くないんじゃないの?感動の悲しきエンディングって感じ?
   うん。悪くないかも。・・・うん。
   って悪いわっ!!
   由結の中でなんか死ねるかっ!!
   『最愛は永遠に私の胸の中で生き続けるの。』なんて無い胸押さえて言われたって嬉しくないわ!!
   つーか、由結は憑り付かれたままだろ!
   最愛が助けなきゃ全滅必至のBAD ENDじゃんかぁ!!!」

そう叫ぶと最愛は、空中でジタバタと暴れ出した。
手足を振っても、何の抵抗も無い。
その為、腹筋と背筋を使い体を捻じりながら、必死に巨木の柱の方へ頭を向けようとする。
最愛は、なんとか体の向きを変えると50m程先に先程までしがみ付いていた柱が見えた。
最愛は、柱に向かって腕をグルグルクロールの様に回したり、足をバタバタとバタ足の様に動かしたりと何とか柱に近付こうと試みる。体を一直線に伸ばすと、より落下スピードが上がった気がし、慌てて両手両足を広げ今度は平泳ぎで必死にもがいた。
最愛の周りで、すぅの歌声の泡玉が同じ速度で落下してゆく。泡玉は暴風に煽られ渦を巻いたり左右に流れたりしている。最愛が感じなくなっただけで、由結の精神世界には暴風が吹き荒れているのだ。

風に踊り舞う すぅ の歌の泡玉を平泳ぎの要領で「進め!」と念じながら思いっきり手で掻く。すると、指先にわずかな抵抗がある様に感じ、微妙に前に進んだ。
前に進む様に意識を集中し、一掻き一蹴りを行う。
意識を集中すると更に手の平と足の裏に抵抗を感じ、そしてギュイっと前に進んだ。感覚的にはシャワーの水を手で弾く程度の抵抗だったが、先程の何も感じない状態と比べると雲泥の差でだった。

微妙に柱へと進みながら、落下して行く。
気付けば、眼下に水面が見え始めていた。
その水面がどんどん近づいてくる。
ここで最愛はふと、ある事を思い出した。

MOA 「そ、そうだ。この世界は意思の力が大きく働くんだった!
   最愛が水面に叩きつけられるって恐怖したから水面に向かって落ち始めたのかも。
   すぅちゃんの歌の泡玉が凄い勢いで舞ってたから、風が強いって思って、その思いから風を感じ始めたのかも。
   柱の中は上も下も無かった。進むか戻るかって思ってたから?
   もし、そうだったとしたら・・・最愛はやっぱり鉄腕アトムになる!
   鉄腕アトムは空も飛べるんだ!!10万馬力で空も飛べるんだぁぁぁぁっ!!!」

そう叫んだ途端に、最愛の体は下ではなく、柱に向かって真横に落下し始めた。
その速度はぐんぐんと上がり、巨木の様な柱の右横をすり抜け、更に柱の向うへとふっ飛んでゆく。
落下では無く、最愛は確実にこの空間で飛んでいた。
意識を飛びたい方向に向け、巨木の柱を中心に反時計回りに回ってくる。
すぅ の歌声の泡玉がバチバチと最愛の体に当たる。そして、それに伴い すぅ の歌う『ウ・キ・ウ・キ★ミッドナイト』が脳の中を駆け巡る。
最愛は、意識しながら速度を上げたり下げたりを繰り返す。
そして、水面に向かって近づきながら徐々に徐々に飛ぶ速度を下げていった。
『ウ・キ・ウ・キ★ミッドナイト』が終焉を迎えようとする中、最愛は静かに水面へと降り立った

水面は乳白色だった。
最愛の精神世界ではコーヒーゼリーの海の様だったが、由結の精神世界はミルクゼリーの海と言ったところだろうか。
ミルクゼリーの海の表面は、ざばんざばんと波打ち、至る所に渦潮が出来ていた。
南部鉄の様な巨木の柱に近付く。
柱は、すぅ の歌の泡玉が付着した所がシルバー色に艶を出すが、最愛の精神世界と異なり艶は定着せず、一瞬にして元の南部鉄の様な艶消しの鈍い黒色へと戻ってゆく。
空を飛んだ所為なのか。それとも時間の経過が関係してるのか。
体に付着している、すぅ の歌声の泡玉が減っていた。左足のふくらはぎ辺りは完全に泡が付いておらず、先程からピリピリと痛みを感じる。
ためしに、その左足を由結のミルクゼリーの海に刺し入れてみる。

MOA 「うわっ!ちくちく痛ぁぁぁい!
   由結の海も攻撃してくる!
   白血球みたいなもんかなぁ?
   最愛の存在は、由結の精神世界から見たら異物なんだなぁ。
   すぅちゃんの歌声って、みんなの心にすんなりと入ってくるんだよなぁ。なんの抵抗も無く受け入ちゃう。不思議な歌声の持ち主だよ。
   だから すぅちゃんの歌の泡玉を挟んで触ると、異物として攻撃されないのかな?
   よーし、すぅちゃんの歌の泡玉を念入りにたっぷりと、体に纏おう!!
   歌玉♪歌玉♪もっと降れ♪」

そう言うと、最愛は水面から1m程浮き、前転後転側転とクルクルと回り出した。
最愛の体の至る所に すぅ の泡玉が堆積してゆく。
最愛は、腕にびっしりと乗った泡玉を見る。

MOA 「これが、泡とかすぐに壊れるものじゃなくて、洋服の様なしっかりとした物なら安心なんだけどなぁ。長袖のステージ衣装みたいな・・・。」

そう、呟いた途端に、腕に乗った泡玉が黒く変色して行き、泡玉同士が繋がって行く。
そして、表面にシルクの様な光沢が現れる。

MOA 「もしかして、この泡にも最愛の意識を影響させる事が出来る??
   よし、ステージ衣装をリアルに思い出そう!!長袖の、最近来てるタイプのぉ。
   で、丈夫にな布のイメージでぇ。すぐに割れない。すぐに破けない。でもカワイイ。
   むむむむむ。」

最愛の体に付着する泡が次々と繋がり繊維の様になってゆく。より鮮明にと必死で衣装を思い出す。
上半身の衣装がほぼ完成する。肩回りと首回りに赤いフリルを付けてゆく。そして下半身も。
黒い編み上げのブーツに黒い厚手のタイツを想像し、真っ赤なチュチュを想像する。

MOA 「ふぅ。やっぱり赤いチュチュが好きなんだよね。で、顔と頭と手をどうしよう?
   今のままじゃ、むき出しだもんな。皮膚の上に透明な皮膚が乗ってるイメージ。
   むむむむむ。・・・・ふぁ、出来た♪」

最愛は、先程まで学校内を散策していた時と同じデニムのパンツに若草色のパーカー姿だったのが、BAYBMETALのステージ衣装に変わっていった。
その格好で、足のつま先から、ゆっくりと由結のミルクゼリーの海へと沈んで行った。

ミルクゼリーの海の中は、BGMの様に すぅ が歌う「おねだり大作戦」が心地よく鳴っていた。
巨木の様な柱の表面から伸びる枝分かれした根が、果てしなく広がり迷路の様に入り組んでいた。衣装が溶けたりしないか確認しながら、根の迷路の中を潜りながら泳いで行く。
由結の精神世界のゼリーの海の中にも、最愛のコーヒーゼリーの海の中と同様に無数のカラフルな泡玉がふわふわと漂っていた。最愛の世界と違うのは、巨木から広がる根の末端が、カラフルな泡玉に付着して貼り付いている事と、カラフルな泡玉と同数程度の漆黒の泡玉が根の先に付いている事だった。
漆黒の泡玉は根の先に出来た実の様に見えた。
漆黒の泡玉は、シャボン玉の様な綺麗な球体ではなく、土の中のジャガイモの様な歪な球体をしていた。その漆黒のジャガイモが、根の至る所からぽこぽこと生えている。
最愛はカラフルな泡玉に触れる。
頭の中で、夕食の風景が広がる。
次に根から生まれた漆黒の歪な泡玉に触れる。
スナックの様なお店の中の風景が見えた。

最愛は、巨大な柱沿いに深く深く潜ってゆく。
深度が増す度に、周囲に漂うカラフルな泡玉や漆黒の歪な泡玉は大きさを増してゆく。巨木から広がる根の太さも太くなってゆく。
10m潜るたびに、泡玉の大きさは直径10cmづつ大きくなる印象だった。
表層に近い泡玉は、匂いの泡玉と映像の泡玉が別々に分かれており、画像を核としていたり、味の記憶を核としていたりしながら、その周囲に別の五感の泡玉が衛星の様に漂うといった形式を取っていた。
しかし、深度が増すにつれ、核になる泡玉が周囲の五感の泡玉を取り込み統合し虹色の泡玉となる。触れた時のイメージは、匂いや感触まで再現される写真の様な物だった。
そして、更に深度が増すと、統合した泡玉と別の統合した泡玉がくっ付き一つの泡玉となってゆく。

大きさが直径10m以上になったカラフルな虹色の泡玉に、最愛触れた。
軽く触れただけでは、泡玉から情報を得る事が出来なくなった。泡玉の表皮が厚くなった印象だ。最愛は試しに泡玉に人差し指をぷすりと刺してみる。
その途端に、最愛の頭の中に動画が流れる。
最愛は、次々に泡玉に人差し指を差し込んでゆく。
BABYMETALの新曲のダンスで苦労する風景や、由結が兄弟と喧嘩をしている風景。ママに叱られている風景等が数秒から数分の動画が頭の中で凝縮され一瞬で流れる。

最愛は、更に潜ってゆく。
大きさが直径30m以上の虹色の泡玉と漆黒の歪な泡玉、そして巨木からの太い根が広がる景色。
泡玉の表面が更に分厚くなったのか、人差し指を刺そうとしても、その分泡玉は凹み指が刺さらない。試しに拳を固め叩いてみる。すると簡単に拳がズボッっと手首まで刺さった。
最愛の頭の中にBABYMETALのライブ中のの風景が流れる。これは武道館の映像だった。
次に最愛は、漆黒の歪な泡玉に触れてみる。同様に何も情報を得られず、指先で押し、次に拳で叩くと同じ様に手首まで刺さった。
頭の中に、赤夜の母親がマンションで倒れてゆく映像が流れる。衝撃なシーンだった。
急いて刺した右腕を抜く。

MOA 「新しい記憶と古い記憶で深さが決まってる訳じゃなさそうだ。
   たぶん、大事な記憶程、深い場所にあるんだと思う。何度も思い出す度に深い場所へ泡玉は潜って行く。
   そして深くなるにつれ、その記憶に感情が追加されてゆく。単なる記憶から、楽しかった思いや悲しかった思いが記憶に付随して行くんだ。
   由結の武道館の記憶には、ドキドキ緊張する思いや、転落した時の「どうしよう!」と焦る感情まで頭の中に伝わってきた。
   そして、赤夜さんの記憶には、ママが倒れた時のショックやどうしたら良いかわからず、オロオロとした感情が伝わってきた。
   あと、深い所に行くにつれて、最愛が踏み込む覚悟が必要になるんだ。
   軽く触れる。指でつっつく。手首まで入れる。相手の記憶に対して、こちらの心を開く事を求められる。
   こっから先は、腕まで、半身まで、そして全身・・・。」

最愛は、ごくりと息を飲む。
深くに潜れば潜る程、受け取れる情報量と情報密度は増えるが、比例して危険が増している気がする。
更に潜る一歩が踏み出せないでいると、最愛の右脇にある大木がら伸びる根が、ぐぐぐと軋んだ。
躊躇している時間は無いのだ。
根はゆっくりと成長し、由結の心に侵食しているのだ。当然、最愛の精神に刺さった大木の根も成長しているに違いない。
時間をかければ、最愛まで赤夜に憑り込まれてしまう。
バンバンと最愛は頬を叩き、覚悟を決めた。
そして、一気に潜っていった。

・・・。
・・・・。
・・・・・。

時間を少し遡る。

真っ暗な闇の中、2人の少女が眠っていた。
1人の少女が仰向けに眠っている。
その少女の右側に寄り添う様にもう1人の少女が眠っている。
異様な事に寄り添う少女は、仰向けに寝る少女の顔面を右手で鷲掴みにしながら眠っていた。
更に異様な事があった。
その2人の頭側で、片膝をつきながら、少女の頭のてっぺんを両手で押さえる少女がいた。
その少女が、独り言を激しく呟く。

SU- 「ねぇ。ホントにこれでいいの?
   頭側にこう座って、両手で二人のつむじを押さえてたら、折角のチャンスなのに2人に何もいたずらが出来ないなぁ。
   由結のこの手を最愛から剥がした方がよくない?
   この状態を作る為に、色々と苦労したって?
   ところで、ちょくちょく嘘付いて、すぅ 達の事を騙してたよね?
   2人が・・イヤイヤ。すぅ を含めて3人が元通りにならなきゃ許さないからね!!
   で、こっからどうするの?
   え?マジで?真っ暗な中1人で?
   『NO RAIN, NO RAINBOW』で良い?
   1999も黒い夜も参戦してないから効果が薄いかもって?
   『いいね!』の方が良いって?
   気分的に静かな曲から歌いたいの!
   ふぅ。
   とりま、歌ってみるわ。
   ふふふ。観客は・・・一応4人か。
   それでは、3人の心に すぅ の歌声を降らせましょうかね。」

すぅ は、誰かと会話をしている様だった。
会話の様な独り言が終わると、すぅ は静かに『NO RAIN, NO RAINBOW』を歌い始めた。
そして、誰かの指示の通り『いいね!』を歌う。

SU- 「えっ?最愛が自分の体から抜け出た?
   これから、由結の中に入るから、明るい元気な歌で感情を込めて最愛を応援しろって?
   すぅ の歌が2人をリンクさせてるって、どういう意味?
   すぅ の歌が途切れ続けると、最愛が由結と赤夜の防衛本能に攻撃され始めるのかぁ。
   ところで、この由結と最愛を押さえてる両手を離すとどうなるの?
   最愛の様子が見れなくなるのかぁ。てか、すぅ にも最愛の様子が見れる様にならないの?
   見れないんだぁ。・・・ホントに?ホントのホントの??
   すぅ に見られると困る事があるんじゃないの?
   あっ!今、ギクッ!ってしたでしょ?
   まったく、事ある毎に嘘を付くよね。
   え? すぅ が見てたら、最愛の様子に夢中になって歌う事を忘れるだろ?って。
   ・・・まぁ、確かにそうなんだけど。
   じゃぁ、気合を入れて『君とアニメ』と『ウ・キ・ウ・キ★ミッドナイト』で応援しますか。」

独り言が終わると、また すぅ は、歌い始めた。
由結と最愛を助ける為に、感情を込めてたった一人で暗闇の中、歌い続ける。

・・・・・。
・・・・。
・・・。

最愛は深く深く由結の心の奥へと巨大な柱に沿って突き進んでいた。
最愛は、両手を握りしめ、右手を突き上げ、左手は胸元に。
足の裏からジェットが出ているかの様に、凄いスピードで泡玉と泡玉の隙間をすり抜けてゆく。
深さを増す毎に泡玉は統合されていき、その数を減らしてゆく。
その数と反比例し、泡玉のサイズは大きく育つ。
そして、泡玉が育つのと同じ様に巨大な柱もまた、その幹を太く太くとさせていった。
周囲の泡玉が直径が、100mを超え、200mを超え、300mを超えた辺りで、周囲から泡玉が無くなった。
泡玉が無くなった理由は分かっている。終点が近づいているからだ。
泡玉が統合され尽くし1つになった場所。
そこに由結の魂がいるはずだ。そして、由結の魂を封じている赤夜の精神もまたその場所に。

巨大な柱の最終地点。
巨大な柱の最低底辺では根が、1つ漆黒の泡玉を守る編み上げの籠の様に球状に覆っていた。
最後の漆黒の泡玉のサイズは直径500mは超えている。
乳白色の海に浮かぶ、巨木の根に覆われた漆黒の満月。そんなイメージを最愛は懐いた。
その巨大な漆黒の泡玉は、ゆっくりと拍動していた。
ドクン、ドクンと拍動する動きと共に、泡玉の表面は銀黒色に輝き、その泡玉の中身を一瞬透過させる。
最愛は、その一瞬の銀黒色の輝きの際、最後の漆黒の泡玉の中に、巨大な何かが浮かんでいる事に気付いた。
巨大な柱が伸びる側の真裏へと、ゆっくりと回り込んでゆく。
やはり真裏は根が細くなると同時に覆う密度が薄くなっていた。
最後の漆黒の泡玉に近すぎるために、中身の全容が分からない。
最愛は、最後の漆黒の泡玉の内部へ目を凝らしながら、ゆっくりと離れて行った。

ドクン。

拍動と共に銀黒色に輝く。
最愛は、その場に凍り付き固まった。

ドクン。

低音で拍動の音が再び鳴り響く。
泡玉が輝き、再び一瞬だけ内部が透けて見える。
最愛の鼓動が自らの耳元で高速で打ち鳴らし始める。

ドックン。

MOA 「あ、泡玉の中に・・・泡玉の中に胎児が・・・巨大な胎児が浮かんでいる!!
   胎児が両手で泡玉を・・・虹色の泡玉を抱えて浮かんでる!!!!」

動けず固まる最愛の目の前で、胎児は僅かに胎動する。
そして、胎児は静かに瞳を開いてゆく。
真っ赤に血の色で染まった眼球が、ゆるやかに左右異なる動きを見せる。
胎児は再び僅かに胎動すると、ゆっくりと瞳を閉じた。
すぅ の歌声は『紅月』へと変っていた。

MOA 「この胎児が赤夜さんの魂・・・。
   そして、胎児が抱える虹色の泡玉が由結のコアとなる精神なのか?
   あの中に由結の魂がいるのか?
   胎児から由結の虹色の泡玉を奪い取ればいいのか?
   ・・・ここから眺めていても分からない事だらけだ。
   この銀黒色に光る漆黒の泡玉に触れるしかないな。」

最愛は、漆黒の泡玉に近付く。
籠の様に編まれた根をすり抜け、手を伸ばせば漆黒の泡玉に触れられる距離へと移動する。
手の平で、そっと触れる。鋼鉄に触れた様な冷たい感触。なんのビジョンも伝わってこない。人差し指を突き立てる。次に拳を当ててみる。そのまま上半身を突っ込む様に力を入れるが、漆黒の泡玉は鋼鉄の巨大な球体の如く何の反応も返してこなかった。

MOA 「ふぅ。やっぱり、私自身がこの中に入る覚悟を決めなきゃ受け入れてくれないか。
   このまま、赤夜さんの精神に飲み込まれるかもしれない。
   中で何かに攻撃されて殺されるかもしれない。
   ・・・怖い。
   ・・・でも。
   ・・・だけど。
   ここにいても、何も変わらない。
   由結は、目の前にいて助けを求めてる。
   ふふっ。すぅちゃんが歌ってる。『この身体が滅びるまで、命が消えるまで守り続けてゆく』って。
   由結があの時、動かない体を無理やり動かし最愛を助けてくれたから・・・。
   だから最愛が今度は由結を助ける!
   滅びたり消えたりせずに、最愛が由結を守りきる!!」

最愛は、下っ腹に力を入れ深呼吸というよりも空手の息吹に近い型で気合を練ってゆく。
「ひゅぅぅぅ。」と息を吸いながら両手の平を漆黒の泡玉に添える。
そして、「はあっ!」と息を爆発的に吐出しながら身体全体で前進した。すると、何の抵抗も無くスルッと最愛の身体は漆黒の泡玉の中に消えていった。

漆黒の泡玉は、ふるると震え銀黒色に鈍く輝く。
輝きと共に透過された泡玉の中で、巨大な胎児の口元はほのかに微笑んだ様に見えた。

・・・。
・・・・。
・・・・・。
・・・・。
・・・。

最愛は、校舎の入口の手前に立っていた。
辺りは暗く静まっている。
見上げると、雲が厚く覆っているのか月も星も出ていない。
建物内も薄暗いが、どこかの教室で灯りを付けている様で、わずかな光が漏れている。
最愛は、ゆっくりと入口を開く。
廊下の電気は全て消えている。廊下の突き当たりで避難口誘導灯の緑の灯りが心許無く光っている。
職員室の窓から明かりが漏れていた。
「誰かがいるかも?」と思いながら、最愛は職員室の扉をカラカラと開き覗き込む。
中は廊下側の一列だけ蛍光灯が付いており他は消えていた。
人は誰もいない。
職員室に入り、後ろ手で扉を閉める。
職員室の時計を見ると針は8時40分手前を指していた。夜である事から、21時40分なのだろう。
最愛の知っている職員室と異なり、ガラスも割れておらず、机は綺麗に並べられており埃も全くない。黒板にチョークで書かれた日付は『3月21日』となっていた。

扉の向うで、ドンドン、ガラガラガラ、バタンバタン、ガラガラガラと音が鳴り始めた。何者かが入口から騒がしく入ってきたようだ。その音が、入口から職員室の方へ近づいてくる。
最愛は、体を硬くし身構える。
ガラガラと何かを引き摺る音が職員室の扉の前でピタリと止んだ。
最愛は、咄嗟に机の下に隠れる。

カラカラカラ。

職員室の扉が開く音が聞こえる。
ガンガンと何かを扉にぶつけながら誰かが入ってきた。

赤夜 「すみません。本日卒業の赤井です。」

最愛は、赤夜が入ってきた事に気付き、机から顔を出し赤夜の顔をする。

赤夜 「卒業式の時間を少しばかり間違えまして。あはは。
   朝かと思ったら、夜でした。あはは。
   誰かいませんか?あはは。
   誰か?・・・あはは?
   誰か!
   誰かいないか?って言ってるんだよ!!
   出てこい!!!!あははははは!」

赤夜は、突然持っていた黒い旅行バックを振り回し暴れ出した。旅行バックで椅子を吹き飛ばし、机を蹴り倒してゆく。瞳の焦点が合っていない。怒りながら笑い暴れる狂気の姿に、最愛は驚き慌てて見つからない様に顔を引っ込めた。

赤夜 「なんでよぉぉ。
   折角、ここまで来たのに。
   ・・・ひっく。ひっく。
   あっ!
   そうだ、教室に行こう♪」

突然泣き出したと思ったら、コロッと明るい声になり、ガシャガシャと机を押しのけながら、赤夜は騒がしく職員室を出ていった。

MOA 「あ、あれが赤夜さんかぁ。
   ・・・こ、怖かったぁ。
   今日が3月21日の卒業式の日って事は、あの日記を書いた後なんだ。
   朝と夜を間違えて、こんな時間に学校に来るなんて・・・やっぱりどこかオカシいよ。
   ストレートの黒髪で綺麗な顔をしてるのに・・・だから余計に焦点の合って無い目が怖かった。
   人が狂ってしまった姿が、あんなに怖いって知らなかったよ。
   もし、今の最愛が赤夜さんに見つかってしまったらどうなるんだろう?
   今までの泡玉は触っても、頭の中に泡玉に入っている記憶が再生されるだけだった。
   でも、今回はいきなり赤夜さんの精神の中の世界に来てしまった。
   赤夜さんは最愛の事が見えるのかな?それとも、見えないのかな?
   とりま、赤夜さんを追いかけなきゃ!
   この後に起こる事を見届けなきゃ!!」

最愛が、職員室の扉を飛び出した時、赤夜は走りながら廊下の突き当たりから左に曲がり、そのままの勢いで階段を駆け上がった行った。両手に持った赤と黒の旅行バックを階段の段鼻やササラにガンガンと当ている様で、激しい音が廊下中に鳴り響く。
最愛も慌てて、赤夜を追いかけ階段を3段飛ばしで駆け上がった。2階に上りきる前に一旦止まり、這う様にしながら2階の廊下を覗き見る。丁度、赤夜が2-2の教室に入って行く姿が見えた。最愛は姿勢を低くしたまま、赤夜が入って行った教室の扉まで駆け寄り、扉の陰から中を教室内を覗きこんだ。
赤夜は、黒板の前に立っていた。
教室の後ろから入った赤夜は、教壇の前に移動し、ぼぉーっと黒板を眺めて立っていた。
赤夜の方が、ヒクヒクと動く。
泣いている様だった。
黒板には、クラス全員の寄せ書きがされており、その上から赤いチョークで大きく赤夜に対するメッセージが重ね書かれていた。

   ≪大丈夫。
    大丈夫だから、ここで待っていて。
                  黒夜≫

そのメッセージを見ながら赤夜は泣き続けていた。

赤夜 「赤夜はもうダメだよ。
   何も無いもの。
   もう、存在する理由が何も無いの。
   それどころか、頭もオカシくなって来てるの。
   黒夜を見ると憎しみが止まらなくなっちゃうんだよ。
   会ったら傷つけてしまう。
   黒夜には、もう会えないんだよ。
   オカシくなった赤夜から、黒夜を守る為には・・・。
   ・・・だから。」

赤夜は、そう言うと黒板に近付き、メッセージもその下に書かれたクラス全員の寄せ書きも綺麗に黒板消しで消し始めた。
そして、白いチョークを手にすると、大きく文字を書き始めた。

   ≪これで全部、サヨウナラ。
    黒夜、ありがとう。
               赤夜≫

最愛は、しゃがんだ体勢で扉から顔だけを教室に覗き入れその様子を見ていた。
過去の出来事を見ているだけ、赤夜に最愛を認識する事は出来ない。との思いもあるが、ここは赤夜の精神内の世界、この世界の住人に見つかった際に赤夜の精神にどんな影響を与えるかが分からない。
赤夜は、黒板に文字を書き終わると前の扉から2-2の教室から出て行き、正面の木工室へと入って行った。
最愛は入れ違う様に教室に入り、後ろの扉から一番近い机とその前の机の間に身を屈めたまま隠れた。

MOA 「見つからない様に隠れながら移動かぁ。『メタル ギア』ってゲームみたい。
   あのゲームの主人公が所属する部隊の名前って『FOX HOUND』だったよね。
   で、主人公の名前が『ソリッド』。『ソリッド』って固体って意味だよね。
   液体とゼリー状で出来た精神世界の中で真実を固体化(ソリッド)させろって事かな。固定をFIXって言うしFOXに似てるよなぁ。
   『メタル』に『FOX』か、これも運命ってヤツなのかしら?
   この世界で最愛が何かすれば、真実を捻じ曲げて投影されるかもしれない。ソリッドな真実を見極めてみせる!!
   それにしても、やっぱり『で』の文字が・・・どんな意味があるの?」

赤夜が木工室から戻ってきた。
最愛は、頭を更に低く下げ這う様な体勢で、赤夜の行動を監視する。
右手には7m程の麻縄が握られていた。縄を握ったまま、キョロキョロと天井を見上げている。天井には蛍光灯しかない。赤夜は机の上に登り蛍光灯の一本に麻縄を掛けて、軽く引っ張ぱってみる。当然の如く蛍光灯は蛍光灯カバーから外れて床に落下し、『パンッ!』と破裂音を出して割れてしまった。赤夜の頭上にある蛍光灯カバーにはもう一本、蛍光灯が取り付けられている。その蛍光灯に対しても同じ様に麻縄を通し、引っ張る。結果は先程と同じだった。蛍光灯カバーから蛍光灯が外れ、落下して『パンッ!』と破裂音と共にガラスを撒き散らす。
赤夜は、机の上から降りる際に、肩からタスキ掛けに下げた小さな黒いエナメルの鞄を床にポイと投げ捨てた。

ゴツッ

と、低い音をさせて鞄が床に落ちた。
赤夜は、慌てて机から降りると鞄を大事そうに拾い上げた。

赤夜 「そうだ。『赤夜の章』をどうしよう。
   このまま死んだら、『赤夜の章』を見られてしまう。
   か、隠さなきゃ!『赤夜の章』を隠さなきゃ!!」

赤夜は、黒いエナメルの鞄を肩から下げると、中から『赤夜の章』を取り出し、胸に抱えながら教室内をウロウロと回り始めた。
最愛は、歩き回る赤夜から一定の距離を保つ為に、床の上を這う様に移動する。
赤夜は、教室の一番後ろに並ぶロッカーの前に移動した。バルコニー側から4つ目の2段重ねロッカーの前に立つ。そしてしゃがむと、2段重ねのロッカーの下の段を開け、『赤夜の章』を下段ロッカーの一番下の靴置き用のスペースへ入れ、グイッっと奥へと押し込んだ。

赤夜 「黒夜にだけは、この『赤夜の章』を見られたくない。
   自分のロッカーじゃないし、これで見つからないと思うけど・・・。
   あれ?誰か来た!!どうしよう隠れなきゃ!!」

そう言うと、赤夜は教壇前に放置してあった2つの旅行バックを取りに行き、旅行バックと共に教壇の陰に隠れて行った。
最愛は耳を澄ます。確かに赤夜が言った様に階段下からゆっくりと階段を上がってくる足音と話声が聞こえ始めた。

???? 「君は僕の事を恨んでいただろう。」
???? 「えぇ。貴方の事も、死んだ母の事も。そしてあの子とあの子の母親の事も。」
???? 「君から僕に話しかけたって事は、もう恨みは消えたのかい?」
???? 「いいえ。消えていないわ。それどころか、私に母の怨霊が憑りついた分、昔より貴方を殺したがってる。」
???? 「怖いねぇ。この専門学校への融資を止めたのは、君なんだろう?君は恨みの対象の全てを奪っていく。生きる希望も全てね。」
???? 「どうかしらね?融資の件は、おじい様じゃないかしら?」
???? 「大病院の理事長様が、こんな専門学校の経営に口を挿むとは思えないな。
   それに、理事長はもう寝たきりだろ?この3年程、黒栄記念病院の人事や運営方針は全て君が書いている指示書に基づいて行われているって聞いてるぞ。
   ガラガラだったベットも近年は予約待ち状態と言うじゃないか。我が娘ながら恐ろしい手腕だよ。」
???? 「『我が娘』??」
???? 「あっ、いや。すまない。
   ところで『あの子とあの子の母親』ってのは誰だい?」
???? 「その事であなたを呼び出したのよ。」
???? 「で、誰なんだい?」
???? 「赤井沙夜とその母親の沙織よ。」
???? 「え~と。あぁ。金賞のあの子だね。君と同じ沙夜って子か。
   今回の受賞課題もあの子の発想を奪って君の才能を上乗せしただろ?
   君の奇抜な天才的な発想は流石だけどね。あの子の緻密な構造計算が有ってデザインと見たよ。」
???? 「あの子の構造計算を拝借しただけよ。あの子と貴方から全てを奪う為にこの学校に入っただけで建築デザインに興味はないから。」

そして、話し声と足音は2階へと上がってきた。

???? 「おや?教室に明かりが?」
???? 「たぶん、私が消し忘れただけね。」
???? 「ふむ。で、あの子をなんでそんなに君は恨んでいるんだい?」
???? 「・・・私から全てを奪った親子と思っていたから。・・・思い込まされていたから。」
???? 「『思い込まされていた』??誰に?」
???? 「死んだ母よ。」
???? 「美沙か。」
???? 「えぇ。」
???? 「美沙が何故に?」
???? 「あの子の母親である『沙織』は昔、『理沙子』という名前で働いていたの。」
???? 「り、理沙子だと!?!?」
???? 「もうわかったでしょ?」
???? 「で、でも理沙子に沙夜って娘がいるだなんて、今知った事だぞ!」
???? 「だから言ったでしょ?『思い込まされてた』って。」
???? 「君は、姉妹である沙耶から・・・私の娘から何を奪ってしまったんだ!?」

2人の足音が、教室の後ろの扉に近づいてくる。
開いた扉の前に2人はいる様だが、教室の中心より数脚廊下側に近い机の陰に隠れる最愛からはその姿が見えなかった。
最愛は、入ってくる2人の顔を見ようと机の上から顔を出す。

女の子が先に教室に入ってくる。
教室の灯りが女の子の姿を照らし出す。
両手を赤いツナギのポケットに差し込み、肩まであるくせ毛の赤毛で目付きの鋭い女の子が、猫背の姿で立っていた。
そして、その女の子はうつむいたままボソリと呟いた。

黒夜 「建築デザインに対するプライド、母親の店、拠り所にしていたBABYMETAL、そして、母親の命・・・赤夜の未来や心を含めた全てを奪ってしまった。」

その瞬間、「ゴォォォォ!」という咆哮と共に最愛の右側を凄まじい速度で黒い影が駆け抜けた。
そしてその影は一直線に黒夜に向かって襲い飛びかかった。
影は赤夜だった。
赤夜と黒夜はもつれ倒れ込む。
赤夜の右手には、先程の麻縄が握られていた。
赤夜は黒夜に馬乗りとなり、その麻縄を黒夜の首に巻き付け、グイグイと持ち上げる様に締め付ける。

黒夜 「あ、赤夜。ごめんね。
   で、でも大丈夫だから。
   赤い旅行バックの中身を見たでしょ?
   黒夜を信じて。
   あなたの未来は、姉である黒夜が守るから。」
赤夜 「ゴォォァァア!!
   黒夜が、ママを殺した!!
   黒夜が、店を奪った!!
   黒夜が、もあちゃんを!!!!」
黒夜 「く、苦しいよ。
   ち、違うの、黒夜の話を聞いてっ!
   黒夜を信じてよぉ!!」
赤夜 「ゴォォァァア!!!!」
黒夜 「・・黒・夜・・を・・・信じ・・・て。
   ・・赤い・・バックの・・・中を・・・」

黒夜の身体から力が抜け、首を押さえていた両手がダラリと垂れ下がった。
教室の入り口で「わぁぁぁぁっ!」という男の叫び声が上がる。
その叫び声と共に、男は教室に入り入口直ぐの机の椅子を両手で持ち高々と持ち上げ、麻縄で黒夜の首を絞める赤夜の後頭部へと打ち付けた。
赤夜の身体が、バルコニー側に向かってふっ飛ぶ。
赤夜はよろよろと起き上がり、再度黒夜に向かって行こうとする。それを阻止する様に男は両手で持った椅子を赤夜の胴体に打ち付けた。
最愛は、男の顔を見上げた。
この専門学校の学長室で見た写真の男、夜一だった。
その夜一が両手で椅子を掴み、ブンブンと振り回す。

夜一 「沙夜ぁぁ!!!!」

椅子を振り回し、机を押しのけながら、鬼の形相で赤夜を追い払おうとする。
赤夜は、フラフラと教壇に向かう。そして、教壇の陰から赤い旅行バックを掴むと、そのまま教室の外へと逃げて行った。
夜一は、両手で椅子を持ったまま逃げる赤夜を追いかける。
隠れていた、最愛も赤夜と夜一の後ろを追いかけて教室を出た。
赤夜が、赤い旅行バックを引き摺りながら、2-5の教室へと逃げ込んでゆく。
一番奥の教室だったからなのか。黒夜に会いに行った馴染みのある教室だったからかはわからない。

夜一が、椅子を振り回しながらゆっくりと進んでゆく。そして、赤夜が入って行った廊下突き当りの教室の前の扉から入って行った。
最愛は夜一が教室に入るのと同時に2-4教室側の後ろの扉から教室に入る。
暗闇の中、教室前の窓側の角の所で赤夜が必死に赤い旅行バックを開けようとしていた。
そして、開いた旅行バックから1冊の真っ赤な本を取り出す。そこに夜一が両手で椅子を持ち上げ襲いかかった。

赤夜 「貴方は、赤夜のパパですか?
   貴方は、赤夜と黒夜のパパなんですか?」

赤夜の正気に戻った様な優しい声が聞こえた。
その声の言い終わりと同時に。

ゴツン!!

という、骨に金属がぶち当たる鈍い大きな音が聞こえた。
一瞬の静寂。
その静寂を獣の様な男の絶叫がかき消す。

夜一 「沙夜ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」

夜一の血反吐を吐き続ける様な獣の絶叫が鳴り響く中、ブツンと全ての照明が落ちた様に世界は闇と静寂に包まれた。

最愛は、暗闇の中独り佇んでいた。
前も後ろも上も下も無い暗闇だった。
光も無く、音も無く、匂いも触れる物も無い。
只々、孤独であったが、孤独を感じる感情も無い。
これが本当の死というものかと、在るがままの状況を受け止めていた。

ジジジッ。

闇の中にノイズが奔る。
完全なる闇の中に異物が混ざる。

ザザッ。ジジジッ。
ザァーザァーザァー。

闇にノイズが広がってゆく。
ノイズの中には、景色があった。
モノクロのコンクリートの柱や岩綿吸音板。
四方八方のノイズが繋がり、世界が再構築されてゆく。
乱雑に並ぶ机や黒板。ロッカーや窓に扉。
闇の面積とノイズの面積が逆転してゆき、闇が世界に残された裂け目の様に異物化してゆく。
白と黒にキッパリと分かれた世界から、黒と白とが混ざった陰影を作りだしてゆく。
白と黒と灰色。モノクロで出来た色の無い世界。
そして、黒とは異なる闇は一か所を残し消えていった。

最愛は机を触る。
机を触る手をひっこめ、マジマジと手を見ながら最愛は再び机を触る。

MOA 「な、なに?机に触れているのに触っている感触が無い!
   鼻も舌もなんかおかしい!!
   最愛の身体に何かが起こってる!?
   ところで、あの闇は何!?気持ち悪い!見てると吐き気が止まらないよ」

唯一残った闇が蠢く。
教室の前、窓側の隅で闇が蠢く。
色の無い世界で唯一の色を求めてモソモソとゆれる。
倒れた机の一つから、血の色の何かが見えていた。
闇はその血の色を求めて蠢くが、その血の色の何かに触れる事が出来ないでいた。
不意に闇がギュッと収縮し、形を形成しようともがきだした。
まず最初に闇の一部分が真っ白な右手の爪先へと変わってゆく。
そして徐々に右手、右腕へと形を成していった。
そして、肩、胸、左手、右足、左足と形を成し、黒く長い頭髪が作られて行った。
両手が唯一闇が残る顔面を覆う。
全身が細かく震え、そして両手が顔面から離れた時、闇は消え赤夜の顔が現れていた。
赤夜の左腕がダラリと下がる。
左肩が陥没していた。そして左頬も僅かに陥没し、5cm程皮膚が裂けていた。
皮膚の裂け目にも色は無い。
その横顔が、ゆっくりとゼンマイ仕掛けの様に最愛のいる方角へと振り返ってゆく。
黒目がカタカタと左右に激しく動き、どこを見ているのか分からない。
そして、開いた口の中は、いまだ濃い闇が詰まっていた。

最愛は両目を見開き全身がガタガタと震わせながら、目の前で起きる闇の変化を眺めていた。
瞳孔が開き、全身に鳥肌が立ってゆく。
脈拍が鼓膜を激しく叩く。
絶叫をあげ、この場から逃げ出したい。しかし、指先さえ動かす事が出来ずにいる。どうやれば体が動くのか動かし方がわからない。

赤夜の口からゴボリッと下水溝の様な音が鳴る。

赤夜 「あ゙ぁぁぁぁぁ」

赤夜は僅かに声を漏らすと、再びゼンマイ仕掛けの様なギクシャクとした動きで倒れた机に向かい、そして膝を突き血の色の何をに触れようともがきだした。
触れようとするが、結界が張られているかの様に触れる事が出来ない。
倒れた机自体には触れられるで、その机を右手で持ちガタガタと揺する。
机の中に右手を入れようとするが、やはり寸での所で体が止まり、その血の色の何かを机の中から取り出し事が出来ずにいる。

赤夜 「ごあぁぁぁぁぁぁっ!!」

触れられぬ苛立ちから、獣の様な咆哮を上げる。
教室中がその咆哮を受けビリビリと震動する。
右肩が上がり、頭を上げ、ゆっくりと赤夜が立ち上がる。
そして、体を左右に揺らしながら、教室の前の扉に向かって歩いてゆく。
右手を扉にかけ、ゆっくりと開く。
そして赤夜は、扉の外の廊下へと出て行った。
扉は、カラカラと音を立てながらゆっくりと再び閉まる。
教室には、最愛だけが取り残された。
最愛は、止まり固形化した息を一気に吐き出した。
右手をゆっくりと握る。
そして体が動く事を確認する様に、肘を曲げ首を回した。

MOA 「はぁ、はぁ、はぁ。
   死ぬかと思った。殺されるかと思った。もうダメだと思ったよ。
   赤夜さんに最愛は見えてない?
   日記に『もあちゃんが見えない』って書いてあった。あの状態なの?
   でも、あの時は見えてて最愛の事を襲ってきた。
   この後に最愛が見える様になる何かがあるのかな?
   ところで、赤夜さんは何を取ろうとしてたんだろう?
   あれだけが、赤い色がある。あれって何??」

最愛は、先程まで赤夜がいた場所へと移動した。
そして、軽く屈み机の中に手を入れようとするが入らない。見えない空気のクッションがある様な感触で手がそれ以上に進まない。
最愛は、腹這いになり机の中を覗き込む。机の中から覗いていたのは赤い本の背表紙だった。
それが、プリントの束と机の天板に挿まれ、ギュウギュウに押し込まれていた。

MOA 「この背表紙、『赤夜の章』と同じだ。きっとこれは『黒夜の章』なんだ。
   赤夜が殺される時に、赤い旅行バックから『黒夜の章』を取り出して、ここに隠したんだ。
   黒夜が赤夜に見せたかったのは、『黒夜の章』って事?
   あの時に赤夜が持ってた赤い旅行バックは、この教室から無くなってる。
   旅行バックは学長の安森夜一が持ってったって事か。
   赤夜と黒夜が姉妹で、安森夜一がその父親。で、いいのか?
   とりま、赤夜さんが最愛の事を見えてないなら、赤夜さんを追いかけよう!
   それにしても、この世界は変だよ。こうやって床を触っても、何の感触もない。
   最愛が最愛の顔を触っても、触った感触も触られた感触も無い。
   おっと、赤夜さんを見失っちゃう!急いで教室からでなきゃ!!」

最愛は立ち上がると、赤夜が出て行った教室の扉に近付いた。
右手を扉にかけた時、不意に教室中にノイズが奔った。

ジジジッ。
ザザッ。ジジジッ。
ザァーザァーザァー。

教室内にノイズが広がってゆく、ノイズの中はモノクロでは無い世界があった。
ノイズと共にセピア色の世界が広がってゆく。
四方八方のノイズが繋がり、セピア色の世界が再構築されてゆく。
セピア色の世界は、教室の外の廊下だった。
左を見上げると1-1の表札がある。
正面は2-3と2-4教室の間に立っている様だった。
空気の澱んだ埃臭いの匂いが最愛の鼻を刺激する。

赤夜 「くぅーろぉーやぁーーっ!!!!」

最愛の右手から赤夜の地を震わすような低い叫び声が聞こえた。
最愛は右側を見る。2-5の教室の前に赤夜が立っていた。
左右の黒目は、最愛を通り越し正面を見据えていた。
心なしか、赤夜の身体を透かして薄っすらと廊下突き当りの窓が見える。
突然に最愛の背後で、ケタケタという笑い声が響いた。
最愛は慌てて、振り返える。
2-2の教室の前に、グレーのツナギのポケットに両手を突っ込んだ黒夜が立っていた。

黒夜 「あははははは。やっと獣の状態から抜け出した様ね。
   普通に会話は出来るのかしら?
   ところで何よその状態。もう消えちゃいそうじゃない。」
赤夜 「ウルサイ!!
   赤夜はもうこの世界に居たくないんだ!
   もういい。十分なんだよ!!何も無い世界は十分なんだよ!!」
黒夜 「はぁ。何ヶ月も待たせて、やっと話が出来る様になったと思ったらそれ?
   黒夜に言う事は無いのかしら?」
赤夜 「『殺してすみません』とでも聞きたいのか!?」
黒夜 「そーんな言葉は聞きたく無いよ。
   あれ?更に体が透けてきてるんじゃないの?」

最愛は、赤夜の方を見た。
確かに、先程より赤夜の身体が透けており、背後の窓ガラスがより見える様になっていた。

黒夜 「ところで、あんたは何で私を殺したんだっけ?
   そう、赤夜から全てを奪ったのは、実は黒夜だって知ったからじゃない?」
赤夜 「あれはどういう意味なの!?」
黒夜 「あはは。教えてあげないよ♪じゃぁ、またね♪」

黒夜はそういうと、2-2教室へと入って行った。
赤夜は、2-2教室の前の扉へ行き、開こうと扉に手を掛けるが開かない。
扉をドンドンと叩くが、中から何の返答も戻ってこなかった。
扉を叩き引手に手を掛ける事を何度も繰り返す。
そして赤夜は諦め、最愛の前を通り過ぎ2-5教室へと戻って行った。
その背、もう透けてはいなかった。

ジジジッ。
ザザッ。ジジジッ。
ザァーザァーザァー。

再びノイズが奔る。
ノイズとノイズが繋がり、次の世界へと最愛を連れてゆく。
次の世界は再び、同じ廊下だった。

MOA 「また同じ廊下だ。でもさっきと何かが違う。何だろう?
   あっ、廊下の突き当たりのガラスが割れてる!!
   さっきは割れていなかった。
   あれから、時間が過ぎたって事?
   ん?2-5の扉が開いていく。赤夜さんが出て来るのかも。」

2-5の扉がゆっくりと開く。
中から赤夜が出てきた。
やはり、赤夜の身体は透けており、突き当りの割れたガラス窓を透かして写している。
そして、赤夜は小さな声でぼそりと呟く。

赤夜 「ねぇ。黒夜。あんた居るんでしょ?」

黒夜が階段から登ってくる。

黒夜 「何?あっ、陥没してた顔が元に戻ったね。右肩はもうしばらくかかるかな。」
赤夜 「なんで、黒夜は階段の下に行ったり出来るのに赤夜は出来ないのよ。」
黒夜 「死に方じゃないかな?黒夜だって2-5の教室には入れないよ。」
赤夜 「もう、消えたいのよ。邪魔しないでよ。」
黒夜 「あはは。黒夜は赤夜の邪魔をする為に存在してるんだよ。赤夜から全てを奪う為にここにいる。」
赤夜 「全て奪えばいいじゃない。そうしたら、赤夜は消える事ができる。」
黒夜 「・・・消えるか。じゃぁ。良い事を教えてあげる。
   赤夜のママが2度目の入院をした時、なんでリョウが現れたと思う?お店の経営に不向きなリョウがなんでお店を奪ったと思う?奪ったお店を誰に売るつもりだったでしょうか?」
赤夜 「な、何?何の事を言ってるの??」
黒夜 「もう一つ、赤夜のママが急に転院しました。黒栄記念病院の個室に。前日、黒夜は赤夜と赤夜のママのいる病院に行きました。なんで、急に転院になったんでしょうか?」
赤夜 「だから、何のことを言ってるの?」
黒夜 「ふふっ。ヒントをあげる。黒栄記念病院は黒夜のおじいちゃんの病院です。おじいちゃんが寝たきりになってからは、経営の全てを行っていたのは、何を隠そうこの黒夜なんだな。つまりは、黒夜の病院って事。黒夜は黒栄記念病院のなんでも自由に出来る!金も人も情報も!!・・・赤夜のママってホントにガンだったのかな??」

赤夜 「う、うそっ!?」
黒夜 「武道館のチケットだけど、なんで赤夜は破いたのかな?誰に誘導されて破いたのかな?赤夜のパパの話しをしたのは誰かな?まぁ、赤夜がパパの事を知らなかったってのは誤算だったけどね。あと心が病んで、もあちゃんの姿が見えなくなっちゃうとはホント笑えたわ!!」
赤夜 「何なの?何なの何なのなんなのよぉぉぉ??もあちゃんを奪ったのも黒夜なの??」
黒夜 「最後に教えてあげる。黒夜と赤夜が出会ったのって偶然かしら?黒夜はね、私達が中学生の頃から赤夜の事を知っていたのよ。だって、ほら。黒夜は赤夜の腹違いのお姉さんだから。あははははは。」
赤夜 「どういう事なのか言いなさいよ!黒夜!!教えなさいよ!!!!」
黒夜 「恨みなさい!!黒夜の事を恨みなさい!!ずっと恨み続けなさい!!!あははははは。あーははははははっ。」
赤夜 「く、く、くぅーろぉーーやぁ~~~っ!!!!」

血を吐く様な絶叫の中、赤夜は黒夜に向かって突進して行った。
それは獣の様な早さだった。
最愛の目の前を黒い影が駆け抜ける。
まるで、赤夜が黒夜の首を絞め続けたあの日の再現の様だった。

黒夜 「恨め!!恨め!!恨め!!そして、黒夜から奪え!!!!」

赤夜は黒夜に馬乗りになり、右手で首を絞める。
そして、締めた右手の指が黒夜の首にズブズブとめり込んでゆく。
最愛はそのセピア色の光景を、只々立ち尽くして見ていた。
赤夜の瞳から血の涙が流れる。
黒夜の瞳からもまた、血の涙が。
真っ赤な涙が流れると共に、セピア色の景色に色が付き始める。
廊下にかかるボードが黒から緑色へと変わり、黒夜が着るツナギがグレーから赤い色へと変わってゆく。
赤夜の髪が逆立ってゆく。
そして、赤夜の瞳に黒目が消えてゆき、吐き気がする様な白濁色へと変貌する。
首を絞められた黒夜の姿がどんどんと透けて見えなくなってゆく中、赤夜はゴォォゴォォと叫びをあげる。
ほぼ消えかかった黒夜を投げ捨て、赤夜は立ち上がった。
そして、赤夜の首がギチギチと音を立てながら、その光景を固まったまま見ていた最愛の方向へと向いてゆく。

赤夜 「もぉぉーあぉぉぉぢゃぁぁーん!!!!
   もぉぉーあぉぉぉぢゃぁぁーん!!!!」

赤夜の白濁した瞳が2-3教室の前で立ち尽くす最愛の姿を捉えていた
赤夜の最愛を呼ぶ叫びに歓喜と狂気が混ざり合う。

MOA 「わかった!
   赤夜さんの状態と同じ事が最愛の身に起きているんだ!
   赤夜さんは死んで触覚と嗅覚と味覚を失ったんだ。視覚もモノクロになった。
   赤夜さんが心を取戻し、嗅覚が復活し視覚もモノクロからセピアに変わった。
   そして今、黒夜さんの霊力を喰べて怨霊化しようとしてるんだ。
   それで、景色がカラーに色が付き始めている。
   ヤバい!赤夜さんに最愛の姿が見え始めてるんじゃ!?
   現実世界では、怨霊化した事で最愛を認識出来る様になった。それが、そのままこの精神世界でも反映されてて。怨霊化した赤夜さんの魂が最愛の魂である今の姿を認識出来る様になったとしたら!
   魂の状態での最愛がこの世界に干渉し始めてる!!
   つーか、今の赤夜さんに襲われたらどうなるの?取り込まれてしまうんじゃないの??それって死ぬって事??」
赤夜 「もぉぉーあぉぉぉぢゃぁぁーん!!!!」

赤夜の叫び呼ぶ声が鳴り響く。
最愛は咄嗟に廊下に置いてある消火器を持ち上げた。
だが、その消火器がグニャリと曲り崩れてゆく。それと共に、この世界がグニャリと歪んでゆく。
赤夜がゆっくりと、最愛に向かって一歩一歩進んできた。
最愛は、並んでおいてあるもう一つの消火器を持ち上げ、即座に赤夜に投げつける。だが、その消火器も赤夜に当たる手前で、粉の様に崩れてしまった。
赤夜が両手を広げ、覆い被さる様に最愛に襲い掛かる。

MOA 「ど、どうしよう!この世界にある物は、赤夜さんの精神が作り出したものだから、それで赤夜さんと戦う事は出来ないんだ!
   逃げるにしたって、何処に逃げればいいかわからないよ!!
   最愛はどうしたらいいの!?!?
   由結ぃぃぃ!!由結ぃぃぃ!!!!」

最愛は両目を瞑りながら由結の名前を叫んでいた。それは完全に無意識での事だった。
幼い頃より、最愛に何かあった時に最終的に手を差し伸べるのは由結だった。
それは勿論逆も然りで、由結に何かあった時に最愛は手を差し伸べてきた。
その、最終ラインでの信頼関係が由結の名前を最愛に叫ばせていたのだった。
怨霊と化した赤夜が、ジリジリと最愛に近付く。掴まってしまうのも時間の問題だった。
その時、急に最愛の頭の中に声が聞こえた。

   ≪最愛!名前を呼んで起してくれてありがとう!!
    ここの世界でも最愛の行動は、おぼろげな夢の世界の出来事の様にうっすらと感じてた。
    でも、赤夜さんに意識を封じられ強制的に寝かされていたから何も出来なかったの。
    最愛、よく聞いてね。最愛が今着ている衣装は、赤夜さんの精神でも私の精神でもないよ。
    その衣装はこの世界に干渉されない。
    すぅちゃんの歌声の泡玉から衣装を作った様に、最愛の心でその衣装をどんな形にだって変えられるんだよ。
    赤夜さんを足止めさせる武器を最愛の心で作ればいいんだよ。
    あと、現実世界でも怨霊となった赤夜さんから、最愛は逃げ切ってるんだよ。
    同じ出口から最愛ならゼッタイ逃げ切れるよ。≫

赤夜の両手が最愛の頭部に掴みかかる。
最愛は赤夜にツインテールごと鷲掴みにされる。
最愛の頭部に赤夜の縦割れした爪がゆっくりとめり込む
最愛の四肢はピクリとも動かない。
しかし、表情は違っていた。
最愛の口角が僅かにあがり、瞳が開いてゆく。そして、赤夜にささやく様につぶやいた。

MOA 「・・・赤夜さん。
   ごめんなさい。
   由結が待ってるから、あなたに取り込まれる訳にはいかないの。
   だから、ちょっと痛い思いするかもしれないけど勘弁ね。
   でも、まだ触覚が無いから痛みもないかな?」

そう言うと最愛は、色を取戻し真っ赤に染まったチュチュを腰からグルリとはぎ取った。
そして、持ちなれた物をリアルに頭に思い描く。
チュチュは一瞬でその色を黒と白とシルバーの3色に変えてゆく。
そして、最愛の手の中で鏡面ステンレスメッキ加工された強化アルミパイプの長柄に変わり、その先からバサリと黒地に白の文字が書かれたフラッグが垂れ下がる。BABYMETALロゴフラッグだ。実物と違う点が1点だけある柄頭と柄尻にゴムボールの様な黒いクッションが付きその表面に可愛くピンクのハートのマークが入っていた。
最愛は右手でくるりととフラッグを回転させ旗が後ろに回る。左手を右手より前で軽く握る。
最愛の右腕の僧帽筋、三角筋、上腕三頭筋、前腕筋群と徐々に筋肉が膨れてゆき、右手の小指から人差し指に向かい絞り上げる様に握力が入ってゆき、親指が人差し指と中指を押さえつける様に握り込まれる。

MOA 「全力で行っちゃうけど、ごめんなさいね。
   3・2・1・・ドン♪」

軽く握った左手の中を凄い勢いで、フラッグのポールがスライドして行く。
柄頭に付いた黒いボールが弾丸の如く赤夜の腹部に突き刺ささった。その勢いはまだ止まらない。
最愛の上腕二頭筋が急速に膨らむ。後方に引かれた最愛の右足の大腿四頭筋と下腿三頭筋が膨らみ右足の親指が地面に食い込む様に力が入る。
最愛の腰が反時計回りに周り、右肩が捻じり込まれる。
赤夜の身体がくの次に曲り両足が宙に浮く。最愛を掴む両手が頭部から剥がれてゆく。

MOA 「ぶっ飛べ!コノヤロォォォォッ!!!!!」

最愛の右腕が弾丸の速度で左回転で捻じりながら伸びきった。
赤夜が体をくの字に曲げたまま宙を飛ぶ。放物線など無く一直線に赤夜の身体が最愛がいた2-3教室を正面に見る1-1教室の前方扉前から対角線に有る2-2教室の前方扉前まで一教室分廊下を斜めに宙を舞い、2-2教室の前方扉に体を激突させると、廊下の上を転がりながら2-2教室の前方扉と後方扉の中間まで滑って行った。右足を発射台とした右腕の力のみで霊体を10m程吹き飛ばす女子高生は全世界探しても彼女しかいないかもしれない。

赤夜が吹き飛ぶ中、最愛は次の行動に移っていた。
2-5教室側に向かって全力で走る。向かうは、廊下正面に見えるガラスが割れ落ちた窓の向う。
前回は由結に背中を押されて飛び出した。今回は由結に心を押されて飛び出してゆく。目覚めた由結を迎えに行く為に。
後ろなど一切振り向かず、あの日と同じ様にガラス窓のガラスが割れ落ちた部分へ体を滑り込ませた。
右手にフラッグを持ったまま、そこから左足一歩をジャンプ気味に蹴り上げ、左手をベランダ腰壁の天端へ向かわせる。
左手を天端につき、一気に身体を天端の向こうの何もない暗闇へ投げ飛ばした。

バリーーーン!

後方で空間が割れる音がする。
と同時に最愛は、赤夜の記憶の漆黒の泡玉から由結のミルクゼリーの海の中へと飛び出していた。

   ≪ギャァァァッ!!ギャァァァァァァッ!!!!≫

頭に直接凄まじい程の絶叫が鳴り響く。
慌てて最愛は振り向いた。

拍動と共に一瞬輝く漆黒の泡玉が、拍動を止め銀黒色に輝き続けていた。
漆黒の泡玉が近くにある為、全容が見えない。
最愛は、飛ぶように一気に漆黒のあわだまから300m
直径500mの泡玉の中に100m程の巨大な胎児が浮かぶ。胎児は妊娠12週程度の尾てい骨にしっぽが残る形状をしておりかろうじて指が別れていた。胎児はその指を広げ、そして手を精一杯伸ばし泣き叫んでいる。
原因は明白だった。直径70m程の胎児が抱えていた由結の虹色の泡玉が手元を離れ、ゆっくりと移動しているのだ。
銀黒色に輝く漆黒の泡玉の中を確かな意思を持ち、泡玉の外側へ向かって進んでゆく。
虹色の泡玉が、漆黒の泡玉の内壁に触れ、そのまま抵抗なく徐々に泡玉の外へと押し出されてゆく。
胎児が眼を剥く。真っ赤に血の色で染まった眼球が露わになり、瞳から血の涙が滴り落ちる。
胎児の伸ばした手の長さが急速に延びてゆく。いや、手が伸びているだけでは無かった。足も伸び、頭部と胴体の比率も変動してゆく。胎児が急速に成長を始めたのだ。
物凄い速度で、胎児から嬰児(エイジ)のサイズに向かって育ってゆく。胎児の大きさが100m200m300mとどんどん大きくなってゆく。そして羊水を思わせる漆黒の泡玉の中で由結の虹色の泡玉を追いかけ手を伸ばし続ける。胎児の指先が虹色の泡玉に触れる直前まで迫り来る。

5分の4以上漆黒の泡玉から排出された状態の由結の虹色の泡玉がフルフルと震え、漆黒の泡玉内で圧縮されていたのが開放されたかの様に、僅かにに膨れ大きくなってゆく。その震えと大きさの変化に胎児が怯み、手を一瞬引いた。そのチャンスを見逃さぬかの様に由結の虹色の泡玉が移動速度を上げ漆黒の泡玉から完全に飛び出し、漆黒の泡玉を覆う根の網を潜り抜けミルクゼリーの海の中に浮かんだ。
そして、由結の虹色の泡玉はミルクゼリーの海を漂い、漆黒の泡玉から離れながら再びフルフルと震えだす。震えと共に急激に質量を大きくしてゆく。漆黒の泡玉よりも若干小さな大きさ、直径400m程で大きさの変化は止まり、そして震えも止まった。

   ≪ア゙ァァァッ!!ア゙ァァァァァァッ!!!!≫

嬰児(エイジ)のサイズに育った胎児が悲鳴を上げる。

MOA 「ゆ、由結の泡玉を助けなきゃ。
   で、で、でも赤ちゃんの大きさが黒い泡玉の中でどんどん大きくなって・・・もうどうにか出来る大きさじゃないよ!」

求め伸ばす手の長さ更に成長し続けながらグググッと伸びる。そして、虹色の泡玉を追いかけ右手が漆黒の泡玉を突き破る様に飛び出す。
漆黒の泡玉の表面に飛び出た白蝋の様な白い手を中心に波紋が広がる。右手を追うかの様に左手も漆黒の泡玉から出る。
更に成長の速度が上がってゆく。胎児は両手で泡玉を覆う根を押し広げ出てこようとする。漆黒の泡玉の表面が激しく波立ってゆく。頭が泡玉から出る頃には嬰児から新生児へと、そして乳児と成長しがら胴が泡玉から抜けてゆく。足が抜ける頃には2歳程度の幼児の姿へと成長していた。
そして、血の様にドス赤い眼球から鮮血の涙を流しながら、雷鳴の様な鳴き声を上げ続ける。

   ≪マ゙ァマ゙ァァッ!!マ゙ァァマ゙ァァァァッ!!!!≫

MOA 「ヤバッ!ヤバッ!ヤバッ!
   お、大き過ぎる!東京スカイツリーぐらいあるんじゃないの!?
   スカイツリーって何mだっけ、武蔵の国だから634mだっけ?
   ゲゲゲッ!象と蟻の戦い以下じゃん!!
   ってそんな事を考えてる暇ない!
   何とかしなきゃ!!とりま、あの子を止めなきゃ!!
   オーーーーイ!!!こっちだぞぉぉ!!!」

最愛は、両手をバタバタさせ、無駄に右手に持つ旗を振ってみたりした。
大声を上げても、雷鳴の様な泣き叫ぶ声にかき消される。

MOA 「ちっ!!
   まったく気付かないよ!!
   どうしよう?どうしよう?どうしよう?
   最愛に出来る事が何かあるはずだ!!!!」

その時、幼児の動きがピタリと止まる。
両手を前に伸ばしたまま、叫び開いた口もその形のまま固まる。

   ≪も゙ぉあ゙ぁ?≫

幼児の首が瓶の蓋が回る様に不自然に反時計回りにゆっくりと回る。
最愛の全身の産毛が一斉に逆立ってゆく。
幼児の血の色の瞳から涙が止まり、探す様に視線が宙を泳ぐ。
最愛は、ジリジリと後ずさる。

MOA 「うそ!?
   なんで、急に気付いたの?
   気付かれた時どうするかなんて、考えてなかった!
   で、でも大丈夫だよね?
   最愛は、こんなに小っちゃいんだもの。
   見えないよね?
   見付からないよね??」

幼児の身体がピクッと反応する。

最愛が発した『最愛』という単語に反応したのだ。
幼児の眼球がぎゅるんと回り、ついに最愛を捉えた。

   ≪も゙ぉあ゙ぁぢゃぁん??≫
   ≪も゙ぉあ゙ぁぢゃぁん!!≫
   ≪も゙あ゙ぢゃんがぁぁ!!≫
   ≪もあちゃんがぁぁぁ!!≫
   ≪もあちゃんが見える!!!!≫
   ≪もあちゃんが目の前に見えるぅぅぅ!!!!≫

幼児が咆哮を上げる度に、赤く開いた瞳孔がギュギュギュと絞られる。
瞳の奥に意思と感情が色濃く浮かび上がる。
幼児が大きな口を開けたまま、お辞儀をする様に顔を最愛に近付けてゆく。
真っ赤に染まった口腔内で舌が、びたんびたんと激しく暴れている。

MOA 「み、み、見付かったぁぁぁ!!!
   って、げげげっ!
   喰うつもりじゃ!?
   く、く、喰われるぅぅぅ!!!!!!」

・・・。
・・・・。
・・・・・。

時間を少し遡る。

闇の中で、一人の少女が歌う。

 お願い!!最後の!お願い!!いつもの!♪
 一生一度の!最後で最後の!♪
 お願い!!最後の!お願い!!いつもの!♪
 小悪魔キメル!!BLACK!BABYMETAL!!♪

歌い終わり、暗闇に静寂が戻る。
少女は息を整えると、目の前で眠る2人の少女以外に誰かいるかの如く、1人で話し始めた。

SU- 「この曲1人で歌うのシンドいわ。
   え?なに?なに?どうしたの?
   え?最愛が赤夜のコアに入る??
   コアって何よ?魂と記憶の核??
   ここで最愛に全てが知られるって、すぅは全部を知ってる訳じゃないの?
   記憶を見るのと話すのでは差がある?ホントに??
   で、ちょっと休憩出来そう?
   えぇ~っ。時間軸が違うから数秒で最愛が出て来るはずなの?
   1,2,3・・・10,11,12って数秒って何秒よ??
   もう!いいから すぅ にも見せなさいよ!!」

   ≪見れるようになるにはリスクがあるけどホントにいいの?≫

SU- 「ん?今、心の中じゃなく黒夜の声が耳で聞こえた様な?」

   ≪赤夜の魂の占有率が変動して、赤夜に飲まれた黒夜の魂が少し戻った≫

黒夜 『コアに入った もあちゃん の影響ね。ほら・・・更に戻ったヨン♪』
SU- 「あっ、今度は完全に声だと分かる!」
黒夜 『きゃは♪もう少ししたら姿も取り戻せそうだよ。ここまで力が戻ればOK♪
   赤夜の力はどうかしら?・・・うん。衰えてないね。
   あははっ。全て順調だわ。これで赤夜が覚醒するはずだよ♪
   そろそろ、もあちゃんも出て来るはず!』
SU- 「あぁもう!黒夜は、生声でもテンション高くてウルサいなぁ!
   順調って何?赤夜が覚醒って何?
   赤夜は覚醒させずに由結から追い出すって言ってたじゃない!!
   あんた、やっぱり嘘付いてるでしょ!?
   早く すぅ が、状況を見れる様にしなさい!!」
黒夜 『あはははっ。
   嘘?仕方がないの、だって黒夜は嘘つきなんだもーん♪
   でもね、すぅちゃんの目的と黒夜の目的はそんなにズレてないから大丈夫!
   ・・・かな?てへっ♪
   ところで、見れる様にして欲しいんでしょ?
   ばばーーんと、すぅちゃんの魂、頂戴な!』
SU- 「魂を頂戴って、リスクでか過ぎだろ!? すぅ を殺す気か??」
黒夜 『ちゃう!ちゃう!ちゃう!
   魂、頂くっつーても、ちょっとの間でんがな!
   もあちゃんとゆいちゃん助けたら、ぽいっと離れまんがな!!』
SU- 「出た!黒夜のインチキ関西弁!インチキ臭くなるとホント嘘ばっかりになるからなぁ。
   すぅ に憑り付いた時も『ちょっと肩に乗る程度でんがな!』って言ってたよね?
   それが、必死に身体を奪おうとしたよねぇ!?
   実際、たまーに身体を奪うよね!?」

黒夜 『あっ、いやいや。
   肩に乗ったら、ちょっと身体を動かしたくなっただけだってばぁ。
   すぅちゃんの魂の力が強いから、すぅちゃんの許可なきゃ身体使えないし、身体から追い出そうと思えばいつでも追い出せるじゃん!
   でね、今回はもうちょこっと深く入らせて頂こうかなぁ。なんて思いましてぇ。
   じゃないと、すぅちゃんに見させる事が出来ないのよぉ。
   もあちゃんとゆいちゃん助けたら、ぽいっと離れまんがな!!
   大丈ブイ!でんがな!!』
SU- 「ちょこっとだけ??」
黒夜 「ちょこっと!ちょこっと!先っぽだけ!!」
SU- 「ホントにホントに大丈夫??」
黒夜 『大丈ビ!大丈ビ!!
   って、あぁぁぁぁぁ!!!』
SU- 「え?なに?どうしたの??」
黒夜 『ゆいちゃんのコアが動きだした!?
   おっ!?もあちゃんも飛び出してきた!
   げげげっ!
   赤夜の魂がメッチャ暴れてる!
   つーか急激に成長してる!!
   あれ!?赤夜の眼の色が赤い??
   何?何?何?何が起きてるんだ??
   あ゙!!もあちゃん、赤夜に喰われそう!!』

SU- 「順調って言ってたじゃん!!」
黒夜 『すぅちゃんも見れる様にして、歌で援護しなきゃ!!
   急がなきゃ大変な事になるよ!!
   ほら!魂頂戴!!』
SU- 「魂をあげるって、どうやんのよ!?」
黒夜 『ぼぉ~~っとしてみ!』
SU- 「それなら得意♪
   ぼぉ~~~~~~~~~っ。
   ぉ~~・・・。
   ・・・。
   うっ!!!
   か、身体が動かない!!」

・・・。

・・・。

黒夜 「ふふふっ。
   あはははっ!!
   ・・・ついに。
   ついに、占有率が逆転したぞ!!!
   最高だ!!この身体の無敵感!最高だぁぁぁ!!
   これで黒夜は、自由だぁぁぁぁぁぁ!!!」
SU- 『・・・。
   ・・・騙されたの?
   ・・・由結の世界、見れないし。
   ・・・すぅが逆に、声だけの存在になっちゃったし。
   ・・・また、すぅは騙されちゃったの?』
黒夜 「嘘付いちゃって、ごめんなさ~~い♪」
SU- 『・・・がびぃ~~~ん!』
黒夜 「って、ウソウソ♪
   あはははっ♪ 今から見る方法を教えるよ。
   ・・・ん?何?
   ちょっと待って!
   ・・・歌が聞こえる。すぅちゃん?」
SU- 『すぅ は歌ってないよ。どんな歌?何も聞こえないよ。』
黒夜 「こ、この歌!!
   ヤバい!!消されてしまう!!
   見てるなんて悠長な事、言ってらんない!
   今からウチらも由結ちゃんの精神世界に飛び込むよ!!」
SU- 『へ?』
黒夜 「とぉーーーーーぅ!!」

暗闇で眠る由結と最愛の身体がビクン!と跳ねた。
そして、座ったまま気絶したのか、ガクンと すぅ が頭を垂れる。
暗闇で眠る3人。
しかし、すぅ の両手は、手の甲から五寸釘で穿たれたかの様にしっかりと由結と最愛の頭部を押さえたままだった。

・・・・・。
・・・・。
・・・。

由結の精神世界に赤い刃が刺さった。
赤夜の巨木の様な巨大な柱と平行して由結の世界の深層部まで突き刺さっている様だった。
その柱の中を2人が進む。
黒夜が すぅ の右手を掴み、引っ張る様な形で急降下してゆく。

黒夜 「すぅちゃん。大事な事を教えてあげるヨン。
   この世界の中では、ゼッタイに死なない。
   死んでないと思えれば、何が有っても死なないんだぞ!
   でもね、少しでもダメかもって心が折れると・・・。
   より心の強い者に消滅させられる。」
SU- 「よくわからないけど、すぅは不死身で無敵って事ね。」
黒夜 「そう!すぅちゃんは無敵なの♪
   もうすぐ、外部からの影響を受け取る“空”の領域から、その影響を自分の中に取り込んだ自我である“水”の領域に入るよ。
   ほら、この外側を見てごらん。水面みたいのが近付いてきたでしょ?
   一旦、ここで止まるヨ~~ン♪」
SU- 「ホントだ!牛乳の海みたいだね♪
   牛乳大好き♪
   ん?最後に牛乳飲んだの朝だから・・・ すぅ の体内の牛乳が切れて来たかも・・・。
   ごくり。
   ちょっと、この赤い所から外に出て飲んで来るね♪」
黒夜 「ちょ待って!ちょ待って~ん!!!」

すぅ は、いきなり赤い刃の中からぴょ~んっと飛び出した。
そして、由結のミルクゼリーの海にドボンッと下半身まで埋まった。両手をミルクゼリーの海に刺し込みゼリーをすくい上げる。

SU- 「見て見てぇ♪
   牛乳じゃなくて、牛乳プリンだったよぉ♪
   牛乳プリンもだーーい好き♪
   ずずずずず。
   あれ?牛乳の味がしない。なんか空気啜ってるみたい。
   なんだこりゃ?美味しくないぞ!!
   ・・・ん?・・・にゃは?・・・にゃはっ!
   にゃはははははははは!!!!」
黒夜 「痛いんでしょ?急いでこっちに来て!
   由結の自衛本能が異物として攻撃し始めてるんだヨン!」
SU- 「く、く、くすぐったいぃぃぃ!!」
黒夜 「はぁ?チクチク攻撃されて痛いんじゃないの??」
SU- 「こちょこちょなでなでされて、くすぐったいよぉぉぉぉ!!」
黒夜 「な、何故に??とりま、助けに行くヨン!」

黒夜も赤い刃の中から飛び出し、すぅ の元に駆け付けた。
そして、すぅの脇に頭を潜らせ胴体を両手で抱きしめると、ミルクゼリーの海から すぅ の身体を引っこ抜いた。

SU- 「はぁ。くすぐったかったぁ。お尻なでなでとかしてくるんだもん!」
黒夜 「おかしいなぁ?どれどれ、腕を入れてみっかなぁ。
   ・・・ぐっ!・・・い、い、痛ぁぁぁぁぁぁい!!!」
SU- 「ん?くすぐったくないの?」
黒夜 「アイスピックでザクザク刺された位に痛かったヨ~ン!!
   ゆいちゃんが心で感じるウチらに対する警戒心の差だにゃあ!!
   うっ!ヤバい!!赤夜の魂の波動がどんどん小さく。
   ホントに時間が無い・・・そうだ!
   ゆいちゃんは、すぅちゃんの歌を何の警戒心も無く心に受け入れる。
   だから、すぅちゃん、短い歌をなんか歌ってヨン!!」
SU- 「短い歌?うん、いいよ。」

そう言うと、さらっと すぅ は歌いだした。

 君がため 惜しからざりし 命さへぇ~♪
 長くもがなーーとぉ うぅ~おぉぉ~ 思ひけるかな♪

僅か15秒程度の歌だった。
だがこの歌を歌った瞬間、すぅ を中心に豪雪の嵐が渦巻く様に すぅ の歌の泡玉が発生した。

黒夜 「す、スゴイよ!!
   すぅちゃんの歌の力は想像以上だヨン♪
   あっ!急いで!その細かい泡の玉を身体にイッパイくっ付けて!!」

すぅ と黒夜は、体中に歌の泡玉を積もらせる。

黒夜 「すぅちゃん、この世界の物は強い思いで形を変える事が出来るんだぞ!
   そうだ! すぅちゃん、この泡玉を見ながらBABYMETALの衣装をイメージして!!」
SU- 「ん?え~っと。衣装、衣装。」

すると、すぅ の身体に積もる泡玉が徐々に変化しだした。
黒と赤に変わり出す、そしてあっと言う間にBABYMETALの衣装へと変化した。
ただし、スカートの長さが左右で少し違う。肩に付くエナメル素材のフリルも右の方が大きい。
黒夜 「あははっ。なんか、ちっとバランスが変だね。そっか、すぅちゃん絵が下手だっけ?」
SU- 「すぅ画伯って言われたもん!ヘタじゃないよ!!!それよか黒夜は赤いツナギのままで格好何も変わってないじゃん!」
黒夜 「黒夜はこの恰好がお気に入りだからね。だから3重構造で丈夫にしてみたんだヨン♪
   すぅちゃんの衣装を直すなら・・・ま、いっか。
   ヤバい!ホントに時間が無い!!
   これでこのゆいちゃんの自我の海も潜れるはず!海って言っても海じゃない中は普通に息が出来るからね。
   じゃぁ、急いで行くヨン!!!」

2人は由結のミルクゼリーの海に飛び込んだ。
黒夜が一気に20m程潜る。
黒夜の赤い刃の切っ先はその深さで終わっていた。
その切っ先を黒夜は横目で確認しながら更に深くへと進む。
そこで黒夜は、すぅ の存在が遠のくのを感じた。
慌てて振り向くと、すぅ が不慣れな平泳ぎでのたのたとゆっくり沈んでくる。

黒夜 「すぅちゃん!泳ぐイメージじゃない、この中を自由に飛ぶイメージだヨン!!」
SU- 「わかった!飛ぶイメージ。飛ぶイメージ。」

すぅ は両手を前に伸ばしピーンと真っ直ぐになる。先程より若干だけ進む速度が速くなったが、子供が歩く速度より遅い。

黒夜 「すぅちゃん、今そっちに行くヨン!
   また黒夜が引っ張ってあげるから、待ってて!!」
SU- 「大丈夫!!
   慣れてないだけだから、すぐに慣れるから大丈夫!!
   時間が無いんでしょ!?
   先に行ってて!先に行ってみんなを助けて!!」
黒夜 「う、うん!!
   この黒い柱の横を真っ直ぐ進むとみんながいるから!!
   下で待ってるから!!」

そう言うと、黒夜は矢の様なスピードに加速し一気に潜って行った。
すぅ の視界から一瞬で消えて見えなくなってゆく。
黒夜は更に加速して行く中で、ぽつりとつぶやいた。

黒夜 「すぅちゃんは黒夜の事を信じてくれる。なのに・・・」

・・・・・。
・・・・。
・・・。

最愛は、必死で逃げていた。
幼児の顔が迫ってくる中、全力でミルクゼリーの海の中を走って逃げていた。
両手を振り、モモが高く上がる。
咄嗟の事で、飛んで逃げるという発想に脳が向かず、身体が自然に走るという選択を取ってしまっていた。
最愛が走るスピードより、幼児の顔が最愛に近付く速度の方が若干早い。
最愛に向かって倒れ込む体を支える様に幼児の左右の腕が伸び、最愛の斜め前方左右にドスン!ドスン!と手の平を付ける。。
幼児の鼻先が、最愛の右肩側から迫る。生暖かい息が最愛の全身に当たる。
幼児が手の平を付けた場所の向こうまで一気に走り抜けなければ、最愛は幼児に捉えられてしまう。
しかし、その距離は絶望的に遠かった。
全力で走る中で硬く結んだ最愛の唇が、諦めの吐息と共にゆるく開いて行く。
最愛は絶望の覚悟と共に、目を閉じた。

その時、静かで柔らかい歌声が耳を撫でた。
すぅ の歌声と異なる。しかし、最愛の知ってる歌声だった。
今ある自分のありのままを真っ直ぐ気持ちに乗せ届けようとする歌声。
ほんの少し楽しげで、とても優しい歌声が聞こえる。

 You with the sad eyes♪
 Don't be discouraged♪
 Oh I realize♪

幼児の動きがピタリと止まる。そして幼児はゆっくりと見上げる。
小さな雪の結晶の様な光の粒がキラキラと降り注ぐ。
幼児が、その歌声を心に受け入れるかの様に瞳を閉じながら自分の肩を抱きしめる。
その幼児の肩や頭に光の粒が降り積もる。
最愛も背後から迫り来る圧迫感が消えた事を感じ、走る歩を緩め瞳を開いてゆく。
最愛は手の平で光の粒を受けながら、歌に合わせて言葉を呟いてゆく。

MOA 「『今にも泣きそうな目をしているわね
    そんなにがっかりすることないの
    私も痛いくらいわかっているよ』
   ・・・。
   うん。
   この光の粒が歌に込めた気持ちを伝えてくれる。
   知ってる。最愛は知ってる。
   この歌も、この歌に込めた気持ちも。」

最愛は、両手に光の粒を受け止めながら振り返り、流れる歌に耳を傾ける。
そして、光の粒から受け取った歌に込められた気持ちを、歌に合わせて呟いた。

 It's hard to take courage♪
 In a world full of people♪
 You can lose sight of it all♪
 And the darkness inside you
 Can make you feel so small♪

MOA 「『いろんな目が自分に向けられている中で
    勇気をもって強く生きることがどれほど難しいか
    何を目指していけばいいのか分からなくなるし
    心の中にある闇が自分を弱気にさせてしまう時もあるよね
    自分はなんてちっぽけなんだろうと感じてしまうよね』
   ・・・。
   この歌はここからが凄いんだ。すぅちゃんの歌にも負けてない。
   歌の考古学があったあの日『また負けた』って思ったよ。
   ダンスの時も、バトンの時も、いつも一歩先を行かれちゃうけど。
   でも、最愛は常に追いかけ、追いついてみせるよ。」

幼児の身体に僅かな変化がが現れていた。
徐々に、600m以上ある巨体が縮んでいた。
由結が歌う歌に合わせ、身体を小さく細くさせてゆく。

 But I see your true colors♪
 Shining through♪
 I see your true colors♪
 And that's why I love you♪
 So don't be afraid to let them show♪
 Your true colors♪
 True colors are beautiful♪
 Like a rainbow♪

MOA 「『だけど私はあなたにしかない色が見えるよ
    内側から輝いてるわ
    私には本当のあなたが見える 知っているよ
    だからあなたを心から愛しているの
    ほら 怖がらないで 彼らにあなたの本当の色を見せてみよう
    そうあなたの色を
    本当のあなたはとても美しいわ
    虹のように周りの人を魅了するの 本当に美しいわ』
   ・・・。」

最愛は歌の余韻を楽しんでいた。
歌声の終わりに『よかったぁ』という感情の呟きが光の粒と共に最愛の元へ届く。

幼児は歌声と光の粒を浴びながら、その身体を小さく縮ませてゆく。
大きさが300mを切る頃、身体小さくさせる変化と反比例する変化を見せていた。
ゆっくりと髪が延びている。幼児の膨れた頬の肉が落ち、手足が伸びる。
頭身が3頭身から4頭身5頭身とバランスが変わってゆく。
200mを切る辺りで、見た目は小学低学年の児童の様な見た目に。
100mを切る辺りで、中学生の少女の様な見た目に。
その姿を変えてゆき、幼児が赤夜であった事がわかるまで成長を遂げてゆく。
その姿が、僅かに透過し始める。
それに合わせ、赤夜の巨大な漆黒の柱から伸びる根も枯れてゆくかの如く細め始め、柱自体もその太さを縮ませていった。

MOA 「由結!!!!
   そこにいるんでしょ!!
   お願い!出てきて!!
   もう少しなの!
   もう少しで、由結の世界から赤夜を消す事が出来る!
   あの歌で、死後の世界へ成仏させる事が出来るんだ!!
   もう一度、TRUE COLORを歌って!!!!」

最愛の叫びに反応するかの様に由結のコアとなる巨大な泡玉の虹色の表面がシャボン玉の様にゆらりと揺れ流れ、輝きを帯びてゆく。その輝きが強い白い光となって泡玉の表面を滑る様に一点へと集中してゆく。集まり続けるその光の中心から泡玉の表面を波紋が広がってゆく。幾重にも重なり波紋が広がる。
再び歌が聞こえ始める。
白い光の中心から歌が聞こえ始める。
心を癒すあの歌が。
最愛は、その光の中心をドキドキと鳴り踊る鼓動を感じながら笑顔で眺めていた。

光の中心から一人の少女が現れる。
少女は後ろ手に組み、白いワンピースを纏い、素足のまま一歩一歩、草原を歩く様に歌いながら進む。
髪の毛を両耳の後ろで二つに纏め、頭には白いカチューシャを2本重ねていた。白い光が少女の背後に集まり、小さな白い翼を形作ってゆく。
その翼がパタパタと羽ばたく。
更に翼に白い光が集まる。泡玉の表面から生まれた白い光を左右の翼が全て吸いきると共に、翼をバサリと左右に広げた。小さかった翼は広げた瞬間、少女の身長程に大きな翼へと一気に成長していた。
最愛の遙か上空の空間をゆっくりと歩く少女は歩を止め、翼を広げたまま階段の2段目から飛び降りる様にトンと空間を両足で蹴った。その行為と共に少女が最愛に向かって一気に滑空してくる。
自由落下以上のスピードで滑空してくる少女は、最愛の頭上5m程の所で大きな翼を1回だけバサリと羽ばたかせると、ふわりと最愛の目の前に降り立った。

MOA 「由結!由結!由結!由結!!!
   遅いぞ!由結!!!」
YUI 「ヒーロー見参ってやつ?
   遅れて来てこその天使じゃない?」
MOA 「何よ、その格好!!」
YUI 「最愛さん!この姿を見て下さい!」
MOA 「光の天使じゃん。」
YUI 「最愛さん!すごーーい!
   へへへっ。
   前から、この恰好をまたしたくって。
   最愛、なんか久しぶり♪なのかな?
   実は、最愛の活躍はぼんやりと感じてたんだ。」
MOA 「ふ~ん。おっと、再会を喜んでる場合じゃなかったんだ!
   再会は、赤夜をこの世界から消して、自分の身体に戻ってから祝おう!
   由結!続きを歌って!!」

由結は、最愛から赤夜へと向き直り、TRUE COLORを再び歌い始める。
至近距離で歌を感じた所為か、赤夜の姿が急激に変化を始める。
その大きさを一気に由結と最愛と同じくらいの身長まで縮ませる。髪の長さが肩甲骨辺りから腰の辺りまで長さを伸ばす。少女だった身体つきも女性のモノへと成長し、黒いワンピースを纏ってゆく。
身体の透過が更に進んでゆき、それと共に漆黒の柱も銀黒色に輝く泡玉も枯れる様に小さく小さく萎んでゆく。
TRUE COLORのサビが始まる前に、赤夜の身体のサイズと成長への変化は止まり、透過度のみが進んでゆく。
由結は、サビへ入る直前の一瞬に短く息を吸った。
その瞬間。
最愛と由結の間の空間に頭上から見えぬ程のスピードで何かが落下してきた。
歌がピタリと止まる。
最愛は、目の前で起きた光景に驚き、吸った息を吐きだせずに固まる。
笑い声が聞こえる。
この笑い声を最愛は知っていた。
つい先ほど、見聞きしたからだ。
最愛の口がワナワナと震える。
最愛は瞳をカッと見開くと、吐き出せず固体化した息を一気に吐き出した。

MOA 「く、く、くぅーろぉーやぁーーっ!!!!」

黒夜は、由結の口と身体を背後からガッチリと押さえたまま、ゆっくりと振り向くと真っ赤に濡れる舌を見せながら高らかに笑い出した。

不意に笑い声が止まり、黒夜の赤味がかった瞳と最愛の黒い瞳の視線がぶつかる。
黒夜の切れ長の一重の瞳が、キツネの眼の様に細まり、最愛を値踏みをする様に全身を撫でまわす。
そして、黒夜は赤夜を一瞬だけみた。
赤夜は、消えそうな半透明のまま、瞳を閉じ自分の肩を抱きしめる格好でまったく動かずたたずんでいた。

黒夜 「あぶない。あぶない。本当にあぶないねぇ。
   まさか、ゆいちゃんにこんな歌の力があったとはねぇ。計算外だったよ。
   この歌じゃぁ困るんだよねぇ。
   赤夜が、幸せそうに消滅しかかってるよ。
   成仏されちゃぁ困るんだよねぇ。
   赤夜には、もっと苦しんで貰わないとねぇ。
   もあちゃん、どうしたんだい?そんな怖い顔をして。あははははは。
   おっと、挨拶が遅れたね。はじめまして。かな?
   黒川 沙夜。黒夜と申します。」

黒夜の低い声が、ゆっくりと癌細胞の様に広がる。
由結が、必死に身体をよじる。が、黒夜にガッチリと押さえらえた頭部と身体は万力で固定されているかの様に1mmも動かなかった。
由結が足をバタバタと暴れさせ、黒夜の足を蹴ろうとする。
黒夜は、顔を由結の耳元に近付け何かを囁いた。すると、黒夜の腕から逃れようとしていた由結の身体から力は抜け、急に大人しくなった。

MOA 「由結に何をした!!!」
黒夜 「この空間がゆいちゃんの精神世界だったとしても、この世界では一日の長があるからねぇ。
   黒夜の力を思い知らせると共に、ちょっと絶望を与えて大人しくなって貰ったよ。」
MOA 「何を言ったのよ!!
   由結!聞いてる!!ゼッタイに最愛がなんとかするから!!
   そんな言葉に負けちゃダメだからね!!!
   ところで、黒夜!
   あんた、すぅちゃんに憑り付いてたんじゃないの!?」
黒夜 「あら?何の事かしら??」
MOA 「とぼけないで!すぅちゃんはどうしたの!?」
黒夜 「すぅちゃんは使えないから捨てて来たわ。
   もあちゃんは、いったいどこまで知ってしまったのかしら?」
MOA 「最愛は全部知ってるんだから!!」
黒夜 「全部ねぇ。」
MOA 「黒夜!!!
   あんたは赤夜さんから全てを奪い、赤夜さんの全てを狂わせ死に追いやったた!!
   死んだ後も、わざと自分の一部を赤夜さんに吸収させ怨霊化させた!!
   言葉巧みに すぅちゃん に憑り付きこの状況を作ったのもお前だ!!!!」
黒夜 「あはははっ。だから黒夜はこの口調なのか。」

MOA 「それだけじゃない!!!
   最愛は知ってるんだから!
   最愛は気付いてるんだから!!」
黒夜 「何をかしら?」
MOA 「チョークの文字!!」
黒夜 「だから?」
MOA 「黒夜が原因!黒夜が黒幕!最愛達が巻き込まれたのも全部、黒夜の仕組んだ事だ!!」
黒夜 「あはははははっ♪」
MOA 「だけど・・・。
   だけど、わからない。
   黒夜の行動がわからない。
   気まぐれで・・・。
   矛盾だらけで・・・。
   奪って苦しめたり、助けたり・・・。
   何がしたいのか・・・。
   そして、あなたが何なのか。
   日記の黒夜、赤夜の記憶の黒夜、そして今ここにいる黒夜。
   全てが別人の様で。
   黒夜は何?黒夜は誰?目的は何なのよ!?!?
   何の為に、今ここにいるの!?!?!?」
黒夜 「あははは・・・。
   ・・・黒夜は誰・・・か。
   黒夜は・・・ただ、面白ければ。悲しければ。苦しければいいだけ・・・。」

黒夜の笑いが力なく消えてゆく。
黒夜の顔から表情が消えてゆく。
腕の力が、消えてゆく。

その隙を付き、由結が不意に動いた。
身体を時計回りに回転させながらしゃがみ、黒夜の腕の拘束から抜けてゆく。
黒夜の腕から抜けると、翼を広げた。

YUI 「黒夜さんが望んでるのは、歌だよ!!」

由結はそう言うと、翼で全身を包んだ。翼の色が白から赤と黒の2色へと変化し、黒と赤の霧様に変わってゆく。
素足だった足元に翼から発生した黒い霧が集まり、ブーツの形へと変化し、ふくらはぎや太ももをラメの入ったタイツで包んでゆく。頭には赤いシュシュが付き、髪型がツインテールへと変化していった。

MOA 「うた、うた、歌?」

最愛の脳の中で、高速で記憶がめくられてゆく。その記憶の頁が『赤夜の章』の日記の頁と重なってゆく。

MOA 「望む歌!
   黒夜と赤夜さんが望む歌!!
   私達BABYMETAL3人の歌!!!」

最愛は右手に持っていたフラッグを天に掲げた。その瞬間に黒かったフラッグが真っ赤に染まりチュチュの形へと戻ってゆく。そのチュチュを腰に巻き付けた。

・・・・・。
・・・・。
・・・。



ベビメタ小説-『チョークで書かれた道標』(
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