bm-koishikeribu(yui)
bm-emos1

EMOS-METALさんのベビメタ小説-『SECOND IMPACT』

【プロローグ】 放課後
 
 放課後の教室――。初夏の太陽は校庭の西に大きく傾いてきた。校舎の窓から少しずつ宵闇が流れ込み始めている。まだ残っているのは制服姿の女子生徒2人だけだった。もう2時間以上、台本を見ながらお互いにセリフの読み合わせをしていた。
 2人が出演する映画のクランクインが近い。毎日、授業が終わると、遅くまでここで練習を続けている。歌やダンスのレッスンは小さいころから続けているので、どんなに厳しくてもさほど苦労は感じない。ステージ度胸にも自信があったが、カメラの前の演技となると話は別だった。初めての映画出演への不安は大きな圧力となって、2人の華奢な肩にのしかかっていた。     
     ◇ 
 2人の通学かばんの中で、同時にスマホが振動し、メールの着信を伝えた。最近、家族や友達とのやり取りはLINEを使うことが多くなっているため、メールはほとんどが仕事の連絡だ。とくに2人同時の着信だから、間違いなくアミューズからだろう。
 それぞれのスマホを見ると、差出人名は空欄のまま同じメッセージが入っていた。

差出人名: 
 メッセージ:「隣の教室へ」

「何これ?意味わからないよ」
「隣の教室ってここの隣の教室かな?」
「だろうね。メッセージはそこにあるってことなのかな?行ってみる?」
「うん、行くしかないでしょ」
 2人がいる教室は、この階の一番隅にある。したがって隣の教室は1つしかない。席を立った2人は、廊下に出ると、そっと隣のドアを開けてみた。予想通り、誰もいなかった。その代わり、黒板にはピンク色のチョークで大きな文字が書かれていた。

 【Second Impact ――私に還りなさい――】

「どういう意味?」
「わからない」
「なんか気味悪い」
 2人はすっかり混乱した表情になっていた。
 窓の外はさらに暗さを増している。その分、心なしか教室内が肌寒く感じられてきた。そのとき、廊下を歩く足音が遠くから2人の耳に届いてきた。校舎の中だから、普通は上履きかスリッパのはずだが、足音は革靴のような硬い響きだった。コツン、コツンと一定のリズムでこちらに向かってくる。 
「え?」
「こんな時間に誰だろう?」
「怖い」
「逃げたほうがいいかな」
「でも、今、出たら、廊下で鉢合わせしちゃう」
「どうしよう」
 躊躇している間に、足音は少しずつ大きくなり、2人のいる教室に近づいてきた。足音は2種類聞こえるので、1人だけではなさそうだ。
 完全におびえて、ブルブルと震えている2人。肩を寄せ、どちらからともなく手をつないでいた。足音は2人のいる教室の前でピタリと止まった。
「入ってくる......」


【1】 不思議なメッセージ

 羽田空港は国際線の到着がピークとなる午前のラッシュ時刻を迎えていた。
 バゲージクレームはさまざまな色の肌の外国人であふれかえっている。ひときわ小柄で色白の水野由結と菊地最愛は、そんな一団の中で自分のスーツケースが出てくるのをじっと待ちながら、2人同時に大きなあくびをした。
「ようやく帰ってきたね。長い海外ツアーだったなあ」と最愛が言う。
「ホ~ント。さすがに疲れた。しばらく休みたいけど、学校の勉強が遅れちゃったから、明日からがんばらないとね。それにしても眠いよ、最愛~」。最愛の肩に自分の頭をカクンと乗せながら由結が答えた。
「由結は飛行機の中でずっと寝てたじゃないの。そのくせ、機内食の準備が始まるとパッと目を覚ますんだから、ホント尊敬するよ」
「最愛こそ、こんなに疲れているのに、飛行機の中でもよくゲームやったり、映画観たりできるよ。無駄に血圧が高いんだから!」
「あ~うるさい、由結だってさ、向こうのホテルでは夜になると……って、やめよう。明日からの勉強、助け合わなくちゃいけないんだからさ」
「そうだね」
 はぁ~……。小さなため息がユニゾンした。
 2人が進学した高校は芸能活動への理解があり、出席不足は補習とレポート提出で代替できるシステムだ。由結は最愛の両肩をマッサージするふりをしながら言う。
「明日は学校で誰かからノート借りて、一緒に勉強しようよ。帰りに由結の家に寄らない?」
 気持ち良さそうに首をぐるぐると回しながら、最愛も「あ、グッドアイデア! 海外ではおやつも甘いものばかりだったから、由結のママの手作りフルーツパンケーキが食べたい。甘さ控えめっ!」
 マッサージの手を止めると、由結は「なんだよ~、勉強よりおやつ目当てかよ」と笑いながら最愛の首を軽く絞めるふりをした。
 間もなく、ベルト式のターンテーブルに乗って2人のスーツケースを運ばれてきた。それをピックアップし、仲良く並んで税関を通過した。到着ロビーのゲートには、2人の家族が迎えに来ていた。手を振りながら笑顔でそちらに向かう2人に、小学校の高学年ぐらいの女の子が近づいてきて、それぞれ数本のバラの花束を手渡した。帰国を待っていたファンのようだ。
 由結と最愛が「わ~、ありがとう!」ときれいに揃ったユニゾンで言いながら受け取ると、女の子は恥ずかしそうな笑顔を見せ、すぐに駆け出してその場からいなくなった。
「かわいい」と由結。
 最愛は少し首をかしげた。「でも、ウチらがこの便で帰国することは秘密のはずなんだけど、どうしてあの子は知っていたのかな?」
「別のスタッフさんを迎えにきたとか?」と由結が言う。
「ああ、なるほど!」と、最愛も納得した顔を見せた。
 2家族が一緒に、アミューズ手配の出迎えのワゴン車に向かう。最愛は早くも母親にべったりくっついて甘えた声を出していた。その背中に向かって由結が言った。
「ねえ、最愛、さっきもらったお花にカードがついているよ」
「あ、ホントだ」と最愛はバラの間にはさまっていたピンク色の封筒を開き、中のカードを取り出した。そこにはパソコンの明朝体を使った文字で、一行だけ印刷されていた。

【Second Impact ――助けて――】

 2人のカードはまったく同じものだった。
 すでに先に封筒を開いていた由結は、不思議そうな顔をして言った。「Second Impactって、すぅちゃんの聖誕祭ライブ『1997』のキャッチだよね。それがどうしたんだろ。それに助けて、だって」
「ホントだね。だいたい、あの子、誰だったんだろう?」と最愛も首をひねった。
「スタッフさんの家族だったら、KOBAさんならわかるかもしれない。帰国報告の電話をするから、一緒に聞いてみようか」と由結が言うと、最愛も大きくうなずいた。
 2家族を乗せて空港を出発した大型のワゴン車から、由結がKOBAMETALに電話してみると、今日、空港に迎えに行ったスタッフの家族に、小さな女の子はいないということだった。また、由結と最愛がこの日に帰国することは、やはり関係者以外には秘密とのことだった。
「だったら、あの子、誰だったんだろう。しかも助けてって……」と由結は再び首をかしげた。最愛も不思議そうな顔をしていた。


【2】 すず香のニューヨーク

 マンハッタンの7番街は、ニューヨークでも指折りの雑然とした通りだ。日本でも人気の高級ブランドショップが並ぶ5番街は、夜になると急激に人通りが少なくなるが、雑貨屋やカジュアルなレストラン、ファストフード店などが雑然と並ぶこのストリートは、真夜中まで喧噪が途切れることはない。タイムズスクエアからセントラルパークの南側までなら、夜に若い女の子が歩いていても、さほど危険はない。
 夜10時過ぎ、ブロードウェイの劇場を出た中元すず香は、近くのホテルまでこの道を急いでいた。昨日も一昨日も同じだ。BABYMETALのワールドツアーが大盛況に終わり、まっすぐに日本へ帰国する由結、最愛と別れ、一人でニューヨークにわたってきた。2週間ほどの短い滞在期間、昼間は本場のボイストレーニングを受けながら、夜には本場のミュージカルをたくさん観て、今後の活動に生かそうというのだ。
 短い留学期間にもかかわらず、すず香はさまざまなことを猛烈な勢いで吸収していた。 
「今日のミュージカルも俳優さんたちがみんなすごいし、演出も斬新でおもしろかったなあ」
 ホテルの部屋に戻り、フォーマルなジャケット姿からTシャツとジーンズにすばやく着替えると、愛用のMac Bookを抱えてロビーに降り、ホテルの隣のイタリアンカフェに入った。窓際のテーブルでニューヨーカーたちを見ながら遅い夕食をとるのがすず香の夜の日課だった。
 顔なじみとなっているウエイトレスに、本日のパスタとサラダ、それにペリエを注文する。笑顔で応じたウエイトレスが、「食後にはマンハッタンチーズケーキでしょ」とウインクすると、すず香もそれに「Yes! With strawberry sauce!」と答えながらウインクを返した。流暢とまでは言えないが、海外ツアーを通じて英語でのコミュニケーションもずいぶんスムーズになってきた。
 日本ではあまり見かけない大きなボトルで出されたペリエをグラスに注ぎながらMac Bookを立ち上げた。両親や姉、それに由結、最愛からのメールが毎日のように入ってくる。由結と最愛は、ワールドツアーの影響で遅れた勉強を取り戻すために、2人で七転八倒している様子が連日おもしろおかしく伝えてくる。
「ホントに由結ちゃんと最愛ちゃん、海外でも日本でもいつも一緒なんだから。よく飽きないよね。すぅもあの2人と同い年ならおもしろかったかな。いや、むしろ同い年じゃなくてよかったかも」と1人でにっこりと微笑んだ。受信リストを見ると、見慣れないアドレスからのメールが入っていた。差出人欄は空欄だった。
「なんだ、こりゃ?」と開いてみたらメールの中身は「Second Impact Coming Soon」と書かれているだけだった。「スパムメールかな?」。すず香はすぐにそれをゴミ箱にドラッグした。


【3】 謎の少女

 ワールドツアーから帰国して、1週間が過ぎていた。高校の夏休みが始まるのはまだ1か月ほど先になる。
 由結と最愛は時差ぼけからの回復も待たずに学校の課題に追われる日々で、Second Impactのメッセージについてはすっかり忘れていた。1週間後にすず香が帰国するまでは、BABYMETALもお休みだ。
 この日、2人は図書館の窓際の席でレポートの仕上げをしていた。
 6人掛けの机に差し向かいとなり、由結も最愛もライブ直前のような真剣な表情をしている。とはいえ、2人とも、机の上の由結のバッグに忍ばせたポッキーをひっきりなしに食べていた。閲覧室内は飲食禁止だ。2人ともシャープペンでルーズリーフに文字を書き込みながら、体を小さくかがめて周囲からの死角を作り、音を立てずにすごい勢いでサクサクサクサクと食べている。これなら図書館司書も気づかないだろう。
 2箱目のポッキーを食べ尽くすと、最愛が大きな伸びをしながら、シャープペンをノートの上にポンと放り投げた。
「ねえ由結、提出期限に間に合いそう?」
「微妙だよ。でも間に合わせないとね。今年も夏休みはライブとフェスで補習にもあまり出られないだろうから、ゼッタイにこれは出しておかないと」
「あ、そうなんだ! がんばってね~。最愛はほとんど終わったからさ」
「え~っ、裏切り者! それじゃ、もちろん由結の分を手伝ってくれるんでしょうね」
「い・や・だ・ね~、へへ~っ」
 すぐに由結が机を回って最愛の隣の席に移動してきた。「最愛ちゃ~ん!」と脇腹をくすぐりながら、「お願いだよ~。あとで楽園カフェのミルプレープごちそうするから」と耳元で甘い声を出す。
 最愛は身もだえしながら、周囲を気にして、声を出さすに笑う。「ちょっと、くすぐったいでしょ!怒られちゃうからやめてよ。それじゃ、ミルクレープ、一枚ずつはがして食べろとか面倒なこと言わない?」と返すと、由結が目をキラキラさせながら、5回連続で首を縦に振った。「じゃあ、手伝ってあげるよ」と最愛が言うと、由結は「え~ん、最愛ちゃん、ありがと~」と人差し指で涙を拭うふりをして喜んだ。
 そのときだった。窓の外に目をやった最愛が「あっ!」と声を出した。
 由結が「どうしたの?」と聞くと、最愛は窓の外を指差した。
 指の先を目で追った由結の視界に入ってきたのは、図書館裏の細い通りと、買い物帰りの主婦、それに自転車に乗った男子高校生の姿という平凡な夕暮れ時の風景だけだった。もう一度、由結が「ねえ、最愛、何か見たの?」と聞く。
 最愛は「あの子がいたの。空港でSecond Impactと書かれたカードとバラをくれた、あの女の子だよ。この先の角を左に曲がって行った」と最愛が言う。
「本当に? 間違いないの?」と由結が問いただす。
「絶対に間違いない。あの子だったよ。1人でそこを歩いて行った。一瞬、こっちを見て、最愛と目が合ったもん」
「どうする?追いかける?」と由結が言うと、勉強道具をバッグにザザッと突っ込みながら「当然でしょ。確かめなくちゃ」と最愛。
「そうだね!」と言う前に、由結はすでに自分のバッグを肩から下げ、席から立ち上がりかけていた。
    ◇
 図書館を出た由結と最愛は、ダッシュで裏通りに回り、最愛が女の子を見た角まで走って来た。まだ、ほとんど時間は経っていない。2人はその角を曲がり、さらに細くなっている裏通りを小走りに入って行った。その一帯はアパート、小規模の倉庫、駐車場、それにコインランドリーなどが雑然と軒を並べるエリアだった。人の気配がほとんどない。住宅街の真ん中なのに、ひどく無機質な一角だ。
 2つ目の角まで来ると、右に曲がった道の100メートルほど先に、1人でポツンと歩いている女の子の後ろ姿が見えた。
「あそこだ!」最愛が小さく声をあげた。
 由結も「うん」とうなずくと、2人そろって猛ダッシュで女の子を追いかけた。
 女の子は先の角を左に曲がっていくのが見えた。息を切らせながら、その角を由結と最愛が左に曲がると、正面は小さな神社で、行き止まりになっていた。
 鳥居の前で立ち止まった2人。どちらも額にはうっすらと汗が光っている。
「神社の中に入ったのかな?」と最愛が言う。 
「それしか考えられないよね」と由結。「どうしよう、最愛」
「入ってみようよ、小さな神社だし」と言いながら、制服のブレザーを脱いで手に持ちながら最愛が鳥居をくぐると、由結も遅れないように続いた。心臓がドキドキしているのは、走った直後だからだけではない。
 神社の境内はまったく物音がしなかった。その周辺にいた小鳥たちさえ、鳴くのをやめてしまったように、しんとしていた。
 バレーボールのコートほどの狭い境内だが、少女の姿はどこにも見えない。最愛が正面の小さな拝殿を指さしながら「あそこの中に入っちゃったのかなぁ。ちょっと覗いてみよう」というと、境内の石段を登っていった。
 拝殿の引き戸はきっちりと閉じられていた。中に人がいる気配はない。少女の姿はどこにもなかった。
「消えたね」と最愛が言うと、「なんか気味が悪い。帰ろうよ」と由結が返す。さすがの最愛も少し青ざめ、黙ってうなずいた。2人がクルリときびすを返したそのときだった。
「由結ちゃん、最愛ちゃん、ちょっと待って」と女の子の声が響いた。ギクッとして、2人はその場に凍りついた。恐る恐る振り返ると、空港で会ったあの女の子が、いつの間にか石段の片隅に座っていた。「お話しましょうよ」と抑揚のない声で言う。
 恐怖で顔を引きつらせながら、おなかにグッと力を入れて勇気を振り絞りながら最愛が聞いた。「話すのはいいんだけど、あなた、誰なの? 最愛と由結に何か用なの?」
 すっと立ち上がった女の子はいきなり2人に小型のiPadを差し出した。「これを使ってほしい。由結ちゃん、最愛ちゃんへのメッセージがこのiPadに届くから」と言う。アクセントが少しおかしかった。日本人ではないのかもしれない。
 由結も毅然とした表情を作り、「よく知らないあなたからこんなもの受け取れないわ。それにメッセージって一体何なの?誰からのメッセージなの?ちゃんと説明してくれなくちゃわからないよ。まずあなたの名前から教えて」と言う。
 女の子は表情をまったく変えずに言った。
「私の名前はリンファ。あなたたちの敵ではありません。メッセージは由結ちゃん、最愛ちゃんのよく知っている人から届く」
 とだけ言うと、そのまま歩き出し、神社から出て行った。あまりの驚きで、全身がこわばってしまった由結と最愛は、言葉を発することも、追いかけることもできず、しばらくその場に立ち尽くした。


【4】 みなみとの邂逅

 すず香が待ち合わせに指定されたのは、レキシントンアベニューにあるデパートの入り口だった。どこか東京の伊勢丹に似た雰囲気がある。お昼前なので、さほど人が多いわけでもなかった。
 エントランスの近くで道行く人を眺めていたら、「すぅちゃん!」と自分を呼ぶ声が耳に届いた。小走りに近づいてきたのは、中橋みなみだった。「世界の終わり」事件の後、A-KIPAを辞め、そのまますっぱりと芸能界に見切りをつけて、ニューヨークの大学に留学をしていた。こちらでショービジネスのマネジメントを勉強しているという。
 「世界の終わり」事件の後、2人は急速に仲良くなっていた。国内外のツアーに多忙なすず香も、みなみとは頻繁に連絡を取り合っていた。芸能界の表裏を数多く見てきたみなみは、すず香を妹のようにかわいがり、BABYMETALの活動やプライベートな悩みにも、的確なアドバイスを送っていた。ワールドツアーを終えたすず香がニューヨークに立ち寄ることを決めたのも、この街にみなみが住んでいるからだった。
 すず香のホテルの手配や空港までの出迎えなど、事前にみなみが細かく面倒を見てくれていた。おかげですず香は戸惑うことなく、すぐにこの街に慣れることができた。とはいえ、みなみの大学が忙しく、みなみに会うことができたのは、ニューヨークに着いてからこの日が初めてだった。
「やっと会えたね~。ニューヨークは勉強になっている? 1人でさびしくない?」とみなみが笑顔で尋ねると、すず香が両手で小さくガッツポーズを作り、「サイコーですよ、この街は。ホントにいろいろ勉強になります。夜は少しさびしいですけど、早く寝ちゃうから大丈夫です」とこちらも笑顔で返した。
「よかった。じゃ、ランチに行こう」
 デパートの前を離れた2人はワンブロック西側を走るパークアベニューに出ると、北に向けて歩き出した。日本でも名の知れたカジュアルなブランドのショップに混じって、趣味のいい小さなブティック、かわいい雑貨ショップなどが並んでいる。
 夏まであと少し。ニューヨークの空気には、日本同様にかすかな湿気が混じる。それでも、摩天楼の隙間から見える真っ青な空は、すず香の心をウキウキさせた。
 この日は、ボイストレーニングが休みだった。BABYMETALのツアー中は、移動、リハーサル、本番の連続で、どこに行ってもゆっくり街を見る時間も取れずにいた。すず香にとって、ここでの生活は、勉強と同時に、張り詰めた体と気持ちをゆるめる絶好のインターバルになっていた。
 みなみが案内したのは小さな無国籍レストランだった。サラダとローストチキン、それにラムチョップを頼んだ。バケツのような大きなボウルに、粗びきのパルメザンチーズが大量にかかった山盛りの野菜が届くと、みなみがそれを取り分けながら言った。
「今日はすぅちゃんに会わせたい人がいるんだ」
「え、誰ですか?」
「ニューヨークでショービジネスへの投資を扱っている日系アメリカ人のファンドマネジャーで、日本の音楽界にも詳しいの。怪しい人ではないし、信用できることは私が保証するわ」
「どうして、そんな人がすぅに?」
「世界中にすごい情報網を持っている人なんだけど、どうも日本のショービスにおかしな動きがあることをキャッチしたみたいなの」
「え~、なんかイヤだなあ。みなみさん、また『世界は終わるのよ』とか言わないでくださいよ~」。ウイルキンソンの辛口ジンジャーエールを飲みながら、すず香はおどけるように言った。
あのときは日本の広告代理店が主導していたけど、今度はもっと国際的な話らしいのよ」と、苦笑いを浮かべたみなみが返した。
「そんな話、すぅにしても役に立たないと思いますよ」とすず香は早くも逃げ腰になっている。
「BABYMETALに関係した話だとしたらどうかしら? 今やあなたたちは世界中の注目の的なんだから」
「実感ないなあ。だけどBABYMETALと関係するってなんだろう?」と困惑顔を見せた。
     ◇
 レストランを出た2人はセントラルパークに向かった。摩天楼の間にぽっかりと空いた巨大なスペースは、まるで宇宙で暗黒物質を吸い込み続けるブラックホールのように、周辺の喧騒から切り離されていた。太陽の位置が真上から少し西側に傾いたが、気温は上昇して、少し汗ばむぐらいになった。初夏の風が吹くとあちこちで木々の濃い緑色が揺れ、噴水から飛び出した水滴が太陽の光をキラキラと反射させていた。本当に気持ちのいい午後だ。
 すず香とみなみのいるベンチに向かって、きれいなベージュのジャケットとジーンズを身に着けた、すらりとした男性がまっすぐに近づいてきた。ライトブルーのオックスフォード地のボタンダウンに水玉模様のタイをゆるく巻いて、いかにも余裕のある40歳代半ばのニューヨーカーといった雰囲気だった。
 みなみがすず香を紹介すると、精悍な顔をほころばせ、「ブライアン・オオガミです」と名乗りながら握手を求めてきた。日本人とアングロサクソンを足して、きっちりと2で割ったような整った顔立ちだ。
「すず香さんにお会いできて光栄です。世界中の音楽関係者と仕事をしていますが、BABYMETALには本当に驚かされました。日本の音楽は質は高いけれどオリジナリティーに欠けていた。BABYMETALはようやくこちらでも通用するアーティストだって確信したんです。日系人として、あなたたちのことを誇りに思っています」と落ち着いた口調で話した。普通の日本人と変わらないきれいな日本語の発音だった。ただし、BABYMETALと言うときだけ、どうしても「ベイビーメタル」と英語発音になってしまう。
 ブライアンの手を軽く握り返しながら、すず香は「ありがとうございます。ブライアンさんのような方が応援してくださると心強いです」と言った。すぐに「ところで、今日はどんなご用なのでしょうか。みなみさんのお話では、BABYMETALに関係するということですが」と少し不安そうな表情で尋ねた。
「順を追ってお話しましょう。わからないことがあったら、すぐにストップをかけて質問してくださいね」とブライアンは片目をつぶりながら優しい口調で言った。
 すず香は黙ってうなずいた。


【5】 文化の衝突とBABYMETAL

 ブライアンはゆっくりと話始めた。
「今、世界は再び2つに分かれ始めているんです。言うまでもなく米国と欧州の自由連合、そしてそれに対抗するロシア・C国の旧社会主義国家です。政治、経済、外交、国防など、両陣営の主導権争いは激しくなる一方です。かつての米国、ソ連の冷戦時代とは違った緊張感が地球を覆い始めています」
「詳しいことはよくわかりませんが、かつての冷戦とはどう違うのですか?」と早速、すず香が質問をした。
「大国同士の武力衝突、つまり戦争の危険は少なくなりました。米ソ冷戦時代って、核戦争と隣り合わせみたいな状態でしたからね。その代わり、文化をめぐる争いはどんどん激化しています」
「文化をめぐる争い?」とみなみが怪訝そうな顔をした。
「そう。冷戦時代と比較すると、多くの国が物質的には豊かになった。人間という生き物は、飢えの心配がなくなると、次には限りある人生をどう生きるかを考えるようになるものです。だから古代から人間は宗教に頼り、文化を育て、次に宗教や文化が人間を育てるという相互関係があったわけです」
「ただ食べて、寝ているだけじゃ、人生は長すぎるし、ヒマだもんね」とみなみ。
「自由主義と社会主義が混在するような、いまだにいびつな国家体制であるロシア・C国連合......とくにC国ですが、世界2位のGDPとなった経済力と膨大な人口を背景に、カネで買えるものはすべて自分たちのものにしようと考えています。ただし、絶対におカネで絶対に買えないものがあります。なんだかわかりますか?」
 みなみが即答した。「人の心、でしょう」。
「その通り。人の心だけは、いくらおカネがあっても買えない。では人の心は何によって培われてきたのか。それぞれの地域で生み出されてきた文化によってなのです。例外はあるけれど、このところアジア全体に自由を愛し、文化を愛する機運がかつてないほと高まっています。ベトナムやミャンマーを見ていると、もう以前の時代には後戻りできない文化的なダイナミズムも生まれています」とブライアンは2人の目を交互に見ながら、ゆっくりと話し続けた。
 す
ず香とみなみは目だけでうなずく。
このダイナミズムは、自由を求める人間の心が生み出したものなんです。この意味では、日本の先進性はすばらしい。古来から伝承された文化をきちんと守りながら、海外からの刺激もきちんと受け止める柔軟性がありました。長い鎖国時代があったにもかかわらず、伝統を大切にしながら、外に対しては絶対に排他的にならないっていう、良い意味でのチャラさがあったんです」
 重たい話にチャラさという若者言葉が混ざったことで、すず香もみなみも少し和んだ気分になった。
「そのチャラさが実を結んだのが、今の日本のポップカルチャーです。ファッションやアニメなど、クールジャパンの名前で海外にどんどん輸出されてます。日本建築とか浮世絵とか、日本のトラディショナルな文化の愛好者も海外にはたくさんいるんですが、なんといっても日本のポップカルチャーの影響力はすごい。虜になっている人は世界中にたくさんいます。日本の真似をしようとしているアジアの他国も、これにはとても手を出せません、日本人の発想力と柔軟性、それに仕事に対する誠実さの結晶なのですから」
 ブライアンはポケットからミントタブレットの小箱を取り出すと、すず香とみなみの手に数粒ずつ乗せた。さらに自分の口の中にも放り込み、カリッと乾いた音で噛み砕いた。すず香も同じようにすると、ペパーミントの刺激が喉から鼻へと抜けて、少し頭が冴えてくるのを感じた。
「BABYMETALはその典型です。欧米のへヴィメタルと日本のアイドルポップがこんなにうまく融合するなんて誰も想像できなかったでしょう。若くて美しいメタルの歌姫がいて、その周りを天使のような可愛い女の子たちが舞うという発想は本当にびっくりでした。しかも、3人とも厳しいトレーニングの結果、音楽的にもダンスの質的にもすばらしく高いレベルに到達し、しかもずっと進化を続けている」
 すず香は少し照れくさそうな顔になった。
 みなみが口を開いた。「ここまでのブライアンの話から推測すると、たぶんC国は日本のポップカルチャーを狙っているっていうことなんだろうけど、それこそ簡単な話ではないよね」
「その通り。でも、ポップカルチャーを作っている人間や企業ならおカネでどうにでもなると考えていたとしたらどう? とくに企業は心だけで動いているわけではないから」とブライアンの目がやや険しくなった。
      ◇
 ブライアンと別れた後、ぐったりと疲れてしまったすず香は、予定していたミュージカルのチケットをキャンセルして、食事もせずにまっすぐにホテルへと戻った。
 きれいにメークされているベッドにドサッと全身を投げ出し、帰り道にニューススタンドで買ってきたキャンディーバーを一口かじった。ナッツとキャラメル、それにクラッシュキャンディーまで入ったやわらかいチョコレートは、日本では考えられないほどの強烈な甘さだ。ビターなブラックチョコレートを好んでいるすず香だが、アメリカにいるとこちらの味のほうがしっくり来るから不思議だ。
 ブライアンの話で重たくなっていた心が少しだけ軽さを取り戻した。
 あの後、ブライアンの話は延々続いた。セントラルパーク内を歩き、途中カフェで休憩しながら、数時間にも及んだ。彼の話では、C国がポップカルチャーを集中的に狙い始めたのは、現政権に対する一般層の不満を逸らせるためだという。自由、そして人権の尊さがテーマになりやすい映画やアニメ、ドラマなどは、C国の政治体制への不満を煽る可能性があるため、ターゲットになったのは音楽だった。
 そこでC国は、莫大な資金を香港の投資会社に提供し、水面下で日本の音楽関係の企業をどんどん買収する動きに出た。コニーレコード、APECS、ウニバーサルなどの大手レコード会社やスタートダスト、ピーイングなどのプロダクションが次々に狙われていった。上場企業であるアミューズもターゲットとなり、TOB(公開株式買い付け)こそ発動しなかったものの、金融機関などの機関投資家はもちろんのこと、一般株主にまで食指をのばし、市場価格以上の高値で株を買い占める動きが水面下で続いていた。
 もちろん、ノーザンオールスターズや福川雅治、パキュームなどの売れっ子アーティストを抱えるアミューズも激しく抵抗したことで、完全な乗っ取りとなる過半数の株式買収には遠く及んでいない。しかし、相当数を買い進めたところで、C国サイドは大株主としての発言権を行使するようになってきた。
 そして、最大の要求が、欧米での人気の高いBABYMETALを、自分たちのコントロール下にある香港の音楽プロダクションへ移籍させろというものだった。
「C国は国内事情だけでなく、対欧米の戦略的な切り札としてもBABYMETALを利用しようと考えたんです。アミューズにはBABYMETALの移籍と引き換えに、これまで買い集めた株式を市場価格で売り戻すという交換条件を突きつけてきた」
 ブライアンは顔を曇らせながらそう説明した。
 アミューズはその申し出を断った。BABYMETALの価値に金額をつけることなどできないと判断したのだ。交渉は大もめとなり、水面下で日本の閣僚級の政治家やC国の官僚トップまでを巻き込んだものになった。
 最終的にはC国側が折れ、BABYMETALを諦める代わりに、彼女たちと同等の価値を持つタレントと、育成のノウハウを要求してきた。アミューズはさすがにこれを断ることができず、現在、誰をC国に移籍させるかを検討している最中ということだった。BABYMETALに代わるアーティスト探しのプロジェクトを、C国では「Second Impact」と呼んでいるということだった。
 最後にブライアンはこう付け加えた。
 「だからといって、BABYMETALが安全になったわけではないのです。すず香さんたちに、国際的な評価が高まれば高まるほど、狙われる対象となる。C国だけではなく、最近、自国文化の海外展開に行き詰っているK国や原油価格の暴落でピンチになっている中東の国なんかもBABYMETALを欲しがる可能性があります。だから、アミューズには、BABYMETALをもっと国際的な力を持っているニューヨークの大手プロダクションに一時的に移籍させて、各国からの攻勢をブロックしながら育てたらどうかっていう提案を私が仲介しているのです」
 あまりにも話が大き過ぎて、自分とは別世界のことのように感じた。
 アミューズがBABYMETALを守ってくれたのはうれしい。ただし、代わりに別のアーティストがC国に移籍することになるのは、すず香の心を少なからず曇らせた。
 ブライアンの提案のように、一時的にせよ、米国のプロダクションに移籍することで、BABYMETALの活動の幅が広がることは間違いないだろう。
 一方で日本のファンはどう思うか。これまで、事務所の方針でテレビやラジオなどの露出は控えてきたため、ファンの間にBABYMETALへの飢餓感が強まっていることはメンバーもよくわかっている。一般のロックミュージシャンだったらそれでもありだろうが、由結と最愛のアイドル的な魅力に惹かれているファンも少なくない。その両方の魅力を持つからこそ、BABYMETALが「THE ONE」である所以なのだ。
 実際に、アイドルとしての指向も持つ由結や最愛はもっと国内のファンの近くで活動したいと考えている。
 すず香には歌がある。シンガーソングライターを目指し、音楽で生きていくことを決めている。
 由結や最愛はそうではない。
 BABYMETALにもいつか解散の日が来るだろう。その後の由結や最愛の夢をかなえるためには、BABYMETALの現在だけを考えればいいわけではないのかもしれない。
 そんなことを思っているうちに、すず香は深い眠りに落ちていた。


【6】 衝撃の動画

 都心のカフェ「楽園」――。
 由結と最愛は、不思議な女の子リンファに会った神社を出ると、地下鉄に乗ってまっすぐにここにやってきた。店のマスターもスタッフもよく知っており、いつでも2人が自宅のように安心できる場所だ。
 由結と最愛は、黙々とミルクレープを食べていた。最後の一口を2人が同時にアイスカフェラテで流し込むと、「すみません、ミルクレープ、お代わりください」ときれいにユニゾンした。
 由結が口を開いた。
「食べすぎかなぁ」
「由結らしくないじゃん?いつも少なくとも3つは食べてるし」
「今日はそういう気分じゃないでしょ」
「そういう気分じゃないわりには2つ目だけどね」
そんなことより最愛、どうする?こんなiPadなんか渡されちゃって」
「やっぱり事務所に相談するしかないよね? あ~ぁ、すぅちゃんがいれば相談できるのになあ」
 細長いグラスから氷をひとつ口の中に含み、それをガリッと噛み砕きながら由結はうなずいた。
「ホントだよ。すぅちゃんが帰国するまでまだ1週間もあるんだから。しかも、こういうときに頼りになる彩未ちゃんは、今、仕事が猛烈に忙しそうだしね」
 2人のテーブルにミルクレープのお代わりが来た。ちょうどそのタイミングでタブレットが振動し、メッセージの着信を知らせた。
 動画ファイルが添付されていた。
「なんだろ。由結、開いてみて」と最愛が言うと、うなずいた由結が慣れた手つきで画面をタップし、メッセージを開く。最愛は自分のトートバッグからインナーイヤータイプのイヤホンを取り出すと、由結の隣に移動してきた。それをタブレットに差し込むと、由結と最愛で1つずつ耳に入れた。ファイルを展開させると、すぐに動画の再生が始まった。
 画面に現れたのは、よく知っている2人の女の子だった。
「トモミちゃんとヨウコちゃん!」最愛が思わず大きな声を出した。
     ◇
 トモミとヨウコとは、「世界の終わり」事件からの付き合いだった。
 大手広告代理店のDT堂が、自社の利益を増やすために、A-KIPAのプロデューサー沖本を利用して、日本の音楽業界をすべて破壊し、新しいものに作り変えるという大掛かりな未遂事件だった。背後にはイスラエル製の民間兵器を使って、アイドルやファンを洗脳してしまうという悪質な陰謀も隠されていた。
 BABYMETALの3人、武藤彩未、A-KIPAの中橋みなみらの活躍で計画は頓挫させることができたが、その代償としてすず香とみなみが兵器の攻撃を受け、すず香は1年間の休養、みなみはそのまま芸能界引退を余儀なくされた。
 それほどの重大事件だったのに、陰で日本を操っているDT堂の影響力で、事件そのものが明るみに出ることはなかった。
 この事件のとき、すず香が知り合ったのがトモミとヨウコだった。洗脳目的で集められたアイドルの卵たちの合宿で出会い、2人とも広島アクターズスクール出身ですず香の後輩だったため、親しくなるまで時間はかからなかった。すず香が敵の攻撃を受け、1年もの休養を余儀なくされたのは、DT堂の攻撃からトモミとヨウコを救おうとしたことが発端だった。
 2人にとって、すず香は憧れの大先輩であり、恩人であり、そして頼りになる姉のような存在でもあった。
 その流れで、トモミとヨウコは由結、最愛とも親しくなっていた。さくら学院を卒業した由結と最愛にとっては、新しい妹のような存在になった。トモミとヨウコは、事件の後にアミューズに正式移籍した。さくら学院に転入して重音部を復活させるという案もあったが、結局、別ユニットを結成してデビューまでのトレーニングを続けていた。
 ルックス、パフォーマンスともに、由結や最愛にも引けを取らないほど高いレベルにあり、パキュームやBABYMETALに続く存在として事務所サイドの期待も大きい。CDデビューと同時に映画への出演も決まるなど、2人のプロジェクトは大型化しながら極秘裏に進行していた。
     ◇
 iPadの画面の中のトモミとヨウコにはいつもの元気はなかった。BABYMETALの海外ツアー直前に、すず香の提案で5人で東京ディズニーランドに遊びに行ったばかりだったが、そのときに大はしゃぎしていた2人とはまったく別人だった。
 最初に画面の中のヨウコが口を開いた。「由結ちゃん、最愛ちゃん、ごめんなさい。私たち、アミューズからのデビューはできなくなりました。詳しいことは、まだお伝えできないんですが、いったんトモミと一緒に広島に戻ります」
 由結と最愛は、片手でイヤホンを抑えながら、ごく至近距離で顔を見合わせた。驚きのあまり、2人とも大きく目を見開き、瞬きもほとんどしなかった。
 トモミが言葉を引き継いだ。「ヨウコと一緒にBABYMETALと同じ舞台に上がるのが目標だったけど、それができなくて残念だよ。悔しいよ。でも、世界のステージにつながる道は東京だけにあるわけじゃないし」。今にも泣き出しそうな声だった。
 最愛が逆上しかけていた。「なによ、これ。どうしてそんなことになるの。事務所に電話して聞いてみようよ」。
 由結は表情を変えず、そっと最愛の肩に手を乗せて、映像の続きを黙って待っていた。
 今度はヨウコが話し始めた。
「しばらく、3人には会えないと思います」。天真爛漫なトモミは口調も行動も子供っぽいが、どんなに親しい相手にも礼節を忘れないヨウコらしい口調だった。「ニューヨークにいるすぅちゃんと話せなかったのが、何よりも残念です。でも、落ち着いたら必ず連絡しますので、待っていてください」
 ヨウコが必死に平静を装っているのは、はっきりしていた。瞳が細かく左右に揺れ、涙が薄く膜を張っていた。
 「BABYMETALはトモミたちにとって目標だったし、最高のお姉ちゃんだった。今までも、これからもずっと大好きだよ」とトモミが小さな声で言ったところで、映像は終わっていた。
 驚きと衝撃でしばらく言葉が出なかった。事情はまったくわからないものの、由結と最愛の目にはたっぷりの涙が湛えられていた。
 それを無理やり抑え込みながら、由結があえて落ち着いた口調で言った。「どういうことなんだろう」。
 由結の口調につられたように、最愛も平静に言った。「アミューズに電話して聴いてみるけど、その前に話を整理しよう」
 ルーズリーフを取り出し、見たばかりのメッセージの内容を整理しながら、由結が疑問のポイントを書き出していった。

 ①デビュー断念は2人の望んだ選択ではない
 ②世界のステージにつながる道と言っていることから、いずれアミューズ以外から2人がデビューする可能性がある
 ③あれほど慕っているすず香に相談をしなかったどころか、報告をする時間もないほど、急な決定だった

 由結は氷が溶けて薄くなったアイスラテをストローで少し口に含むと、最大の疑問を口にした。
「だいたい、どうして2人はこんな方法で由結たちに伝えてきたんだろう。由結と最愛は海外ツアーを終えて日本にいるんだから、会おうと思えばいつでも会えるし、電話でもLINEでもなんでもいいはずじゃない? しかも、あのリンファって女の子から渡されたタブレットを通じてメッセージを送ってくるなんて、やっぱりおかしいよね」
「ホントだよ。ヘンなことが多すぎる。とにかくすぅちゃんと連絡を取らなくちゃ。今、ニューヨークは何時ごろかな」と最愛。
「日本との時差が13時間だから、明け方の4時かな」
「じゃあ国際電話は無理だね。電話の音ぐらいで目を覚ますすぅちゃんじゃないし。由結、すぅちゃんにメールを入れてくれない? 最愛はアミューズに電話して事情を取材してみるからさ」
「オッケー!」と答えると、すぐに由結は自分のスマホを取り出すと今日の出来事をすず香に報告するメールを打ち始めた。最愛は自分のスマホを手に、電話をかけるため楽園カフェの外に出て行った。


 【7】 Second Impact

 朝7時。すず香が目を覚ますと、この日も空は真っ青だった。すず香が滞在している間、ニューヨークでは一度も雨は降っていない。シャワーを浴び、大きなバスタオルで髪の毛をぬぐいながら、ライティングデスクのMacBookを立ち上げた。着信メールの数は少なかったが、差出人が「MIZUNO, Yui」になっているメールのタイトルが、「すぅちゃん、大変!」となっているのが目を引いた。
 最愛のメールのタイトルは比較的大げさなものが多いが、由結はそういうことはあまりない。胸騒ぎがした。
 早速、メールを開いてみると、由結と最愛に起こったことがテンポよく、コンパクトにまとめられていた。リンファやタブレットのことはともかく、トモミとヨウコがアミューズを去ることについては言葉を失うほど驚いた。
 前日のブライアンの話が、こんなにすぐに、こんな形で現実として起こってしまうことは――。しかもBABYMETALの代わりに中国に移籍するタレントが、まさかデビュー前のトモミとヨウコだとは、まったく予想もしていなかった。
 充電中のスマホを手に取ると、すず香はヨウコの携帯に国際電話をしてみたが、すでに番号は使われていないというアナウンスが流れた。トモミの携帯も同じだった。
 そこで由結に電話をすると、1回目のコールで「もしもし、すぅちゃん!」と本人が出た。
 由結と電話で話すのは久し振りだというのに、挨拶も省略して、すず香はいきなり切り出した。
「どうしてトモミちゃんとヨウコちゃんがアミューズを辞めることになっちゃったの?」 
「最愛の取材によると、急に香港のプロダクションに移籍が決まったらしいの。アミューズとの間でいろいろな事情があるらしいけど、あまり詳しいことはわからないわ。でも、あの2人を指名してきたのは香港側らしいのよ」
 由結も不思議で仕方ないという口調でそう言った。
「やっぱりそうか!」とすず香は独り言をつぶやくと、気色ばんで言った。「香港、っていうよりもC国とアミューズの経緯については、こちらでも少し聞いたわ。BABYMETALがダメだったときの、Second Impactのターゲットはトモミちゃんとヨウコちゃんだったのか!それにしても、2人ともまだデビュー前じゃない!ゼッタイにおかしいよ。確かにトモミちゃんとヨウコちゃんにはすごい才能があるわ。KOBAさんやMIKIKO先生も認めているように、由結ちゃん、最愛ちゃんのライバルになれるほどよ。でも普通なら、もっと実績のあるアーティストを指名してくるはずでしょ」
「Second Impactってそういう意味だったのね。でも、ターゲットがあの2人になったことについてはアミューズも首をひねっているの。将来性を考えてさくら学院の誰かを指名してくるのならわかるけど、どうして情報を出していないトモミちゃん、ヨウコちゃんなんだろうって」
ねえ、なんとか止められないの?」。いつも穏やかでのんびりしているすず香の声が、苛立ちを帯びてきた。

「最愛がアミューズの社長にまで電話して聞いたんだけど、もう決まっちゃったことなんだって。すぅちゃんも残念だろうけど、由結や最愛だって、せっかく仲のいい妹分が出来たのに悔しいよ」。由結の声も泣きそうだった。
 すず香ははっと息を呑んだ。「そうだよね。ゴメン。由結ちゃんを問いつめても仕方ないよね。それで、トモミちゃん、ヨウコちゃんと話をしたいんだけど、どうすればいい? 携帯がつながらなくて」
「由結たちも連絡したいんだけど、方法がないのよ。KOBAさんの話だと、もうC国か香港に渡っちゃった可能性もあるって」
「そうなの。わかったわ。すぅのほうでも少し調べてみるよ。何かわかったら、まず由結ちゃん、最愛ちゃんに連絡するね」
うん。ところで、ニューヨークは楽しい?」
「楽しいよ。来週には日本に帰るから、ゆっくり話をするね」
「気をつけてね」
「ありがとう。最愛ちゃんにもよろしく」
 そういって電話を切った。


【8】 BABYMETALの新展開

 すず香がニューヨークから帰国すると、BABYMETALはトモミやヨウコについて調べる時間がまったく取れないほどのハードスケジュールに追われることになった。前々からすず香が提案していたのだが、国内コンサートツアーやテレビ出演なども増え始めたためだ。 
 BABYMETALの活動に加えて、すず香がアメリカの大物アーティストのアルバムで1曲デュエット相手に指名されたり、由結と最愛がBLACK BABYMETAL名義で出したシングルがCMに起用されて大ヒットしたり。しかも3人ともまだ高校生であり、学校をおろそかにするわけにもいかない。それでも気力、体力ともに充実した3人は、すべての活動を完璧にこなしていた。
 相変わらず、トモミ、ヨウコとは連絡が取れない。すず香は帰国後すぐにトモミの実家に電話をしたものの、母親が出て「元気でやっている。ただし居場所は口止めされているので、絶対に教えられない」の一点張りだった。
 3人は多忙な日常に追われているうちに、少しずつトモミ、ヨウコのことを思い出す回数が減っていくのを感じていた。
 秋が深まると、BABYMETALには、再び世界中からのラブコールがひっきりなしに届くようになった。欧米からはもちろんのこと、中南米や東南アジアからもコンサートの招聘が殺到していた。もちろん現役高校生の3人には海外活動ができる期間は限られる。ほとんどは断らざるを得なかった。
 そんな時、事態が大きく動いた。
 由結と最愛がリンファから預かっていたiPadが、半年振りに新しいメッセージを受信したのだ。


【9】 トモミ&ヨウコ、過酷な運命

 アミューズからのデビューに備えていたトモミとヨウコに、過酷な運命が襲い掛かったのは半年前だった。
 放課後の教室でセリフの読み合わせをしていた2人のもとに、アミューズのマネジャーがC国の音楽プロデューサーを伴ってやってきた。そこで、いきなり聞かされたのがアミューズから香港のプロダクションへの移籍の話だった。
 2人は頑なに拒否をした。念願のデビューが先延ばしになることよりも、2人にとってBABYMETALと同じ事務所を離れることは考えられなかった。憧れのBABYMETALと同じステージに立つことが2人の最大の目標になっていたのだ。数多い音楽プロダクションの誘いからアミューズを選んだのも、それが最大の理由だった。
 トモミとヨウコは、地元のアクターズスクール広島で小学生のころからトレーニングを積んできたが、元々は4人組のユニットで活動する予定だった。残りの2人は、同じ小学校に通っていたヤヨイ、それにメイリン。仲の良い4人姉妹のような関係で、音楽の世界で生きていく夢も4人共通だった。
 「世界の終わり」事件のとき、DT堂の合宿に呼ばれたのは、歌、ダンスともに得意なトモミとヨウコだけだった。ダンスが持ち味のヤヨイとメイリンは広島に残った。事件の後、4人でのデビューにこだわったトモミ、ヨウコだったが、アミューズの案は、まず2人が先行デビューして実績を作り、ヤヨイとメイリンは別のダンスユニットとして遅れてデビューする。やがて2つのユニットは姉妹のような関係で、柔軟に連携をしていくという画期的なプランだった。
 そんな夢が暗転するきっかけとなったのがメイリンだった。メイリンの両親はC国人だった。
 1980年代の末、C国政府が学生らの民主化運動を弾圧し、多数の死者を出したT事件。この運動のリーダーだったのがメイリンの両親だった。事件後、C国政府の弾圧を逃れ、知人を頼って来日し、そのままこちらで結婚をした。慣れない日本で小さな事業を興して、苦労しながらメイリン、それにその妹の2人を育ててきた。メイリンは苦労続きの両親のために、小学生のころから得意のダンスに磨きをかけて、ショービジネスの世界で活躍することを目標にしていた。
 幼いころからそんなメイリンを見てきたトモミ、ヨウコ、ヤヨイの3人は、彼女のためにもと必死で努力をしてきた。夢は手が届くところまでたぐり寄せたかに見えた。
 メイリンの両親にC国政府からの逮捕状が出たのが、半年ほど前だった。C国の国家転覆を画策したというのが表向きの理由だったが、日本で地道に生活をしていたメイリンの両親にとっては、明らかに身に覚えのない無実の罪だった。日本とC国には犯罪者引渡し条約はないものの、日本政府は要請があれば国外退去の措置を取るはずだ。C国に戻され逮捕されれば、かつてのT事件の首謀者だったこともあり、簡単にはすまないだろう。おそらく生きて再び日本に戻ってくることはできないはずだ。
 同じころ、日本の音楽業界に食指を伸ばし、アミューズ株の買占めを画策していたC国が持ちかけたのが、トモミとヨウコの香港プロダクションへの移籍話だった。BABYMETALの移籍を断ったアミューズには、トモミとヨウコまでを守る余力はなかった。同時に予想されたトモミとヨウコの反発を抑え込むために、両面戦術としてC国が仕掛けたのがメイリンの両親逮捕の話だった。
 2人が移籍をすれば、メイリンの両親の逮捕状は取り下げるとの条件だった。国家権力を使ったひどい話だった。とはいえ、話を断ればメイリン一家はただちに窮地に追い込まれる。しかも、トモミとヨウコには、香港のプロダクションへの在籍は3年間の限定で、その後は自由に好きな相手と契約していいというオプションが付いていた。2人が18歳の時には、アミューズに戻ってくることも可能という条件だった。
 わずか3年。それを乗り切れば、メイリンは救われる。自分たちはまだ中学生だ。チャンスはいくらでも来る。そう考えて、トモミとヨウコは2人で1日泣きはらした後、香港への移籍を承諾した。
    ◇
 広島県K市。港の近くにC国が広く所有している一画がある。一見、ただの倉庫街だが、C国が表の活動、裏の活動に使うオフィスなどがひっそりと入っていた。その1つに音楽スタジオもあり、トモミとヨウコは、半年前から中学の授業が終わると迎えのクルマに乗り込み、ここに来てリハーサルを重ねてきた。
 正確に言えば2人ではなく3人だ。
 香港
のプロダクションに移籍して、すぐに紹介されたのがヴォーカルのチェルシアだった。イングランド人とC国人のハーフで、透き通った声と正確な音程を持つ16歳の少女だ。C国で生まれ育ち、英語、それに日本語も堪能だった。
 この3人で新しいユニットを結成し、年明けにC国内でのデビューが決まっている。
 トモミとヨウコの合流前には、アルバムに必要な曲はチェルシアが録音を終えており、2人はコーラスのパートを入れるだけになっていた。
 しかし、2人が最初にそのオケを聴いたときに、あまりの驚きに言葉を失った。ポップでキャッチーなメロディーなのに、バックのサウンドはラウドなへヴィーメタルだった。
「なあに、これ......」とトモミが怒りをあらわにしながら言った。「まるでBABYMETALじゃん!」
 ヨウコも憤慨していた。「完全にパクリだね。どれも結構いい音に仕上がっているけど、元ネタのあるやつばかりだよ。メギツネとかヘドバンギャー!!とか」
「トモ、こんなの絶対にイヤだよ。すぅちゃん、由結ちゃん、最愛ちゃん、それにBABYMETALのチームが苦労をして作り上げてきたものを、ウチらが横取りするみたいなものでしょ。この国のことだから多少のことは覚悟していたけど、よりによってBABYMETALを裏切るようなことはしたくない」と泣きそうな顔になっていた。
 ヨウコも同じだった。「あたしだってイヤだ。すぅちゃんたちがこれを聴いたら悲しむに決まっているよ。それに、こんなパクリユニットで世の中に出たら、BABYMETALがメジャーな存在になっている日本や欧米では笑いものになって、あたしたちは2度と表舞台には戻って来れなくなる。アーティストとしてもおしまいだよ。だけど......」
 ここで言葉を切ったヨウコはその場で泣き崩れた。「やるしかないんだよ。あたしたちには選択肢がないんだから。大好きなBABYMETALに嫌われても、アーティスト生命を奪われたとしても、これをやるしかないんだよ」。いつも冷静さを失わないヨウコが、トモミも見たことがないほど取り乱していた。
「そうなんだけどさ。そうなんだけど......」。トモミも泣いていた。


【10】 新たなメッセージ

 この日、スタジオでの練習を終えたBABYMETALの3人は、いつものようにカフェ「楽園」に立ち寄った。
 テーブルの上には、9種類ものケーキがズラリと並んでいる。各自がケーキを3つずつ頼んだためだ。メンバーでここに来ると、しばらくの間、いつも3人は無口になる。BABYMETALの場合、自分が注文したケーキだからと言って、それが自分のものというわけではない。テーブルの上は、どれも3人の共有物という認識で、簡単に言うと早い者勝ちの原則だ。したがって、ゆっくりと味わっているヒマはない。注文したケーキが来ると、すべてがなくなるまで3人は緊張感に包まれる。黙々と食べ続け、すべてが片付いてから、堰を切ったようにおしゃべりタイムが始まる。
 この日もすべてのケーキがなくなると、ようやく女子高生のテーブルらしい賑やかさになった。
 まず、最愛が切り出した。「さくら学院を卒業して、BABYMETALだけになったら、もう少し時間が出来るかと思ったら、かえって忙しくなったよね」。
 由結も「ホント。覚えなくちゃいけない歌やダンスフォーメーションは減ったけど、あっちこっちへの移動が多いのが大変だよ」と返す。
 すず香が「そうそう、2人の意見を聞きたいんだけどさ。由結ちゃんも最愛ちゃんも、将来の夢があるでしょう。たとえば、いつかBABYMETALが活動を終えた後のことを考えると、今みたいなBABYMETAL漬けでいいのかなって思っちゃうんだよね。将来のことを考えて、もう少し幅広い活動をしたいって思う?」と尋ねると、由結も最愛も複雑な表情を見せた。
 しばらく黙って考えた後、由結が「そこは考えるよね、やっぱり。でも、水野由結には水野由結の夢があるけど、YUIMETALにはYUIMETALの夢もあるしさ」と言う。
 最愛も「由結の言う通り。最愛の夢はスーパー最愛ちゃんになることって言っているけど、MOAMETALやっているときは、やっぱりMOAMETALのベストを出そうと思う。先のことはそのときに考えればいいんであって、今はとにかくBABYMETALでがんばっていこうって決めているんだよね」と答えた。
 由結は「お~、さすが元生徒会長。うまくまとめるなあ」と笑いながら、すず香に視線を移し、「ところで、そちらの元生徒会長はどう思うの?」と尋ねた。
「2人の言う通りだよ。しばらくは、BABYMETALで目一杯がんばっていこう。だけどBABYMETALがホントに忙しくなったのは、すぅがさくら学院を卒業したころからでしょ。だから、由結ちゃん、最愛ちゃんがどんなに大変だったかはわかっていたし、よくがんばったと思うよ」とすず香は優しい笑顔を見せた。
 すると、いきなり最愛がいたずらっぽい表情になり、「由結、2代目生徒会長がもう1個、ケーキをおごってくれるってさ。どれにする?」
「由結、今度はイチゴのパフェが食べたい!」
「お、それもいいね!」
「いいね、いいね!」
「ちょっと、ちょっと、2人とも、いいねじゃないでしょ。甘いものばっかり食べてると、MIKIKO先生にお目玉食らうわよ」
 3人が同時に笑ったタイミングだった。テーブルの上にあったiPadがメールを受信し、3人の表情に緊張感が走った。
「いつかまたメールが来ると思って、持ち歩いていたけど、半年振りだったね」と由結が言いながら、メールを開き、今回も添付されていた動画ファイルを展開させた。他のお客さんに聞こえないようにと音量を絞り込み、3人がそれぞれのテーブルのiPadに耳を近づけた。
 立ち上がった動画には、「BAOBAO LUN」というアーティスト名のミュージックビデオが収録されていた。


 【11】 BAOBAO LUN

 BABYMETALの劣化版――。トモミとヨウコは自嘲を込めて自分たちのパフォーマンスをそう表現する。
 とはいえ、今さらやめるわけにもいかない。C国にメイリンの両親を逮捕させるわけにはいかないし、自分たちのプロジェクトでも、大勢の人スタッフががんばっていることも知っていた。もう自分たちの活動は自分たちだけのものではない。
 身体能力や表現力は由結や最愛に匹敵する。あっという間にコツをつかみ、アイドルとメタルの融合を自分たちのものにしていた。
 チェルシアのボーカルも、すず香には及ばないまでも、それなりに高いレベルに達していた。まだ日本のBABYMETALが知れ渡っていないC国やそのほかの国々なら、人気を獲得することは間違いなさそうだった。

 ニット名は「BAOBAO LUN」に決まった。こちらも「BABYMETAL」をそのままC国語に直しただけの安直なものだった。
 香港のプロダクションは、巧妙にプロモーション計画をたてた。まずはC国内をくまなくツアーする。国内ツアーといっても、EU加盟28か国、米国、英国、日本の総合計よりもはるかに多い人口を抱えた国なのだから、ここでファンの心をつかめば、経済的な面はともかく、人気のスケールは桁外れになる。その後、アフリカなどC国が積極的な投資を行っている国々での活動が予定されていた。


【12】 違和感

 「なあに、これ」。BAOBAO LUNのビデオを観ながら、最愛が吹き出しそうになっていた。
 まるでBABYMETALのパロディーだった。本気なのか冗談なのかわらからないほど、曲調も歌もダンスも「ヘドバンギャー!!」そのものだった。
 メインのヴォーカリストは見たことがない女の子だったが、両サイドで踊っているのがトモミとヨウコであることはひと目でわかった。
「トモミちゃんとヨウコちゃん!」とすず香がつぶやくと、由結と最愛が「みんな、かわいいけど!」とぴったりとユニゾンで声をそろえた。
 完全にBABYMETALの物まねであり、オリジナリティーはまったくないのだが、3人のパフォーマンスの質は高い。とくにトモミとヨウコのダンスは、由結、最愛のツンとすました表情をやや薄めて、その代わりにところどころに優しい笑顔が顔を出すようになっている。おそらく国民の好みに配慮したものだろう。身振りのキレやリズムの正確さは、由結、最愛に迫るほどだった。
「なかなか、いいよね。これがやりたかったから、C国は実績がなくてもトモミちゃんとヨウコちゃんの獲得にこだわったんだね。だけど、これだけBABYMETALに似ちゃうと、日本や欧米では受け入れられないだろうなあ。それに、トモミちゃんもヨウコちゃんは一生懸命やっているようにも見えるけど、どこか、あの2人らしくないんだよね」とすず香が言った。
「すぅちゃんもそう思った?」と由結が言葉をつないだ。「由結も2人が躊躇しながらやっているのを感じた。だって全然、本気出していないもん、あの2人。由結が知っているトモミちゃん、ヨウコちゃんなら、もっと別のダンス表現をしていると思う。あの2人が本気で踊ったら、由結や最愛だってビビるよ。だけど、これはそんなにびっくりしない」
 最愛もうなずいた。「最愛もそう思う。基礎の段階からMIKIKO先生に習った最愛や由結と、別の先生から習ってきたトモミちゃんたちでは、もともとリズムに対するアクセントのつけ方が違うんだよね。このビデオを見ると、本来のあの2人の良さを生かさずに、無理やりMIKIKO先生っぽいスタイルにしている。だから、きれいに踊ってはいるけど違和感を感じさせるんだと思う」
 3人がうなずき合った。
 ビデオが終わると、自動的に次のファイルが再生される仕組みで、今度は普段着のトモミとヨウコが映し出された。
    ◇
 最初に言葉を発したのがヨウコだった。
「すぅちゃん、由結ちゃん、最愛ちゃん、お元気ですか? ウチらは元気なんですが、今、見ていただいたビデオみたいなことをやっています。BABYMETALの物まねで恥ずかしい……。3人がどこまで事情を知ってるか見当がつかないんですが、これからC国内のツアーが始まります」
 次にトモミが話し始めた。
「ウチら、日本国内の芸能関係者と直接話すのは禁止されてるの。だからすぅちゃんたちに会って、お話することができないの。ごめんなさい。スマホもパソコンも全部通信を監視されているので、こんな手段しか取れないんだ。この連絡だってヒヤヒヤものなんだから。そういえば、由結ちゃんと最愛ちゃんにiPadを渡したリンファは信用して大丈夫だよ。ウチらの仲間のメイリンの妹だから」
 メイリンには3人とも会ったことがあり、よく知っている。ようやくリンファの正体が明らかになって、一瞬、由結と最愛がほっとした顔になった。
 今度はヨウコが口を開いた。
「このiPadでの連絡も危ないので、今回が最後になると思います。今後、何かあったら、リンファを通じて連絡します。とりあえずの予定は、来月に香港で開催されるロックフェスでのデビューステージです。マネジャーの話では5万人以上の人が集まるそうです。そんなフェスに出たら、今後ウチらはBABYMETALの『パチもの』のレッテルを貼られて生きていかなくちゃいけないけど、それも仕方ないです」
 一度言葉を切った。隣のトモミは完全に泣いていた。
 ヨウコが涙をこらえながら言葉を続けた。「これから、ウチらはもっともっとBABYMETALの物まねをやらされると思います。だから……すぅちゃんたちは、『あんなのは偽者だから相手にしない』と切り捨ててください。BABYMETALは世界に1つしかないんだから……。だけど……、ひとつだけお願いがあります。ヨウコとトモミのことは嫌いにならないで。……ウチらはもう夢はあきらめたし、覚悟もできています。けれど、ホントに心から大好きなすぅちゃん、由結ちゃん、最愛ちゃんに嫌われるのだけは……耐えられない。お願いだから......。お願い……」。 
 最後はヨウコも両手で顔を覆って、言葉は嗚咽の中に埋もれてしまっていた。
    ◇
 ショックのあまり、すず香は表情を失っていた。悲しみや怒りさえも超越していた。
 由結の目は真っ赤だった。「なんとかならないの? どうしてアミューズは守ってあげなかったの?」。
 最愛も「ねえ、すぅちゃん、最愛たちに何かできることはないの?」と小声で言う。
「こんなこと、絶対に許されない。アミューズが許しても、すぅは絶対に認めない。ねえ、メイリンの連絡先ってわかる? トモミちゃん、ヨウコちゃんに直接連絡ができないのなら、メイリンの妹のリンファから事情を教えてもらうしかない」
「メイリンの電話ならわかるよ」と最愛が自分のスマホを取り出し、電話帳の番号をメモに書きとめると、それをすず香に渡した。「何か考えがあるの?」
 すず香は黙ってうなずいた。すぐに自分のスマホを取り出すと、電話帳から番号を一つ呼び出した。国際電話だった。その目には強い光が戻っていた。


【13】 香港のフェス

 ビクトリアハーバー近くのWest Kowloon Cultural District。香港最大のロックフェスティバルは佳境を迎えていた。BAOBAO LUNの出番も刻々と近づいてくる。観客数は6万人と発表された。
 控え室でトモミとヨウコ、それにチェルシアは最後の振り付けチェックを行っていた。小学生のころから、さまざまなステージを数多く経験してきたが、これほどの大観衆を前にパフォーマンスを行うのはもちろん初めてだ。いくら度胸が据わっているといっても、まだ中学生のトモミとヨウコにとっては、崖から海にダイビングするぐらいの勇気が求められる。
 ヨウコがトモミの髪の毛にそっと触れながら言った。
「トモ、出番まであと1時間だよ。顔が真っ青だけど大丈夫?」
「うん。さすがに緊張するね。ヨウコだって目が怖くなっているよ」
「そりゃそうだよ。緊張もあるけど、今日、デビューのステージに上がったら、これからはBABYMETALの偽者として生きていくことが決まっちゃうわけだから」
「もう……、それを言うなって。こうなったら、最高のBABYMETALのパチ物になって日本や世界をびっくりさせてやろうぜ!」とトモミが無理やり笑顔を作った。
「そうだね、いっちょうやるか! 由結ちゃん、最愛ちゃんがビビるぐらいにね」とヨウコもカラ元気を奮い立たせながら言う。今にも落ちてきそうな涙を見せないように、トモミにギュッと抱きついた。
     ◇
 ステージ裏に移動する時間になった。BAOBAO LUNの3人は、控え室で手を1つに合わせると、お互いの目を見回しながらうなずき合った。
「そろそろ行くよ!」
「OK!」
「Let's go!」

 そのときだった。控え室のドアが乱暴に開き、C国人のマネジャーが飛び込んできた。「まだここで待ってて。ちょっとスケジュール押してます。出番、遅れるかもしれない」。クセのある日本語で言うと、あわただしく自分のスマホを操作し、どこかに電話をかけ始めた。
 C国語なので、トモミとヨウコには何を言っているのかわからない。2人が顔を向けると、チェルシアを首をかしげながらこう言った。
 「プログラムの変更が間に合うのかって言っているわ。バックバンドの準備……? 照明……? これだけじゃ内容がわからないわ」


【14】 カオスのフェス

 3人がいる控え室には、ステージの様子がリアルタイムを映し出されるモニターが備え付けられている。画面では、ちょうど、米国のデスメタルバンドの演奏が続いていた。
 この国では考えられないような激しいリフと煽動的な歌詞。立錐の余地もないほどに会場を埋め尽くした若者は、それに暴力衝動が揺さぶられ、慣れないモッシュやクラウドサーフが発生するのだが、それに伴う喧嘩や衝突がフロアのあちこちで起こっていた。さらに興奮が高まった一部の集団が、周囲の人々をなぎ倒しながらステージに殺到し、あちこちで悲鳴がわいた。爆竹を鳴らし、発炎筒を焚くものまで現れた。それでもデスメタルバンドは煽りのボルテージを上げていく。フロアの混乱はさらに高まり、一部では争乱状態にまでなっていた。
 欧米や日本なら、観客の興奮を鎮めるためにいったんステージを中断し、観客を落ち着かせるはずだ。しかし、この国の運営サイドは、「盛り上がっている証拠」とばかりにそれを放置した。観客の興奮はスパイラルを描きながら上昇を続け、混乱は危険水域にまで高まっていた。
 プログラムでは、次がBAOBAO LUNの出番だ。
     ◇
 電話をしているマネジャーの口調が、徐々に激しくなっていく。顔が怒りで真っ赤に変わっていった。

 チェルシアが心配そうに再び口を開いた。「マネジャー、電話ではBAOBAO LUN側に違約金が支払われるのかって強い口調で聞いているわ。どういうことなのかわからないけど、私たちのデビューステージ、なくなっちゃうのかな?」。
 チェルシアの懸念は当然だ。BAOBAO LUNのデビューは、トモミとヨウコにとっては気の進まない話なのだが、努力に努力を重ねてきたチェルシアにとっては最大の晴れ舞台なのだから。
 当初はモチベーションの違いから、トモミ、ヨウコとの関係は多少ギクシャクしていた。ただ一緒に厳しいトレーニングを重ねるうちに、お互いに能力を認め合い、信頼するチームワークが生まれていた。ユニットとしてまとまるようになると、今度は国籍を超えた友情が生まれる。合宿などで寝食をともにし、オフのときも一緒に行動するようになると、本当に親しい友人関係が出来上がった。トモミもヨウコも、事情が事情だが、チェルシアと一緒のユニットでよかったと思ってもいた。それほど3人は親しく、信頼し合う仲間になっていた。
 それだけに、チェルシアの気持ちを考えると、この日にステージに向けたトモミとヨウコの心境はますます複雑なものになっていた。
    ◇
 BAOBAO LUNの控え室のドアが再び乱暴に開き、今度は長身の白人が入ってきた。BAOBAO LUNが所属する香港のプロダクションの社長、マーフィントンだった。プロレスラーのような用心棒を引き連れていた。
 両親ともにイギリス人だが、マーフィントン本人が生まれ育ったのは香港だという。香港マフィアとも関係が深いとの噂がある。
 入ってくるなり、マーフィントンは怒りに満ちた声でがなり立てた。「今日、キミたちのデビューステージはなくなった。それどころか、C国本土からは、BAOBAO LUNを解散させるようにとの指示が来たんだ。冗談じゃない。ここまでキミたちを育てたのは私だ。いくら本土の指示だからといって、そんな命令に従うわけにはいかない」
 日本語でそうまくしたてながら、近くにあった椅子を蹴り上げた。近くのテーブルにまで吹っ飛び、置いてあったティーカップが粉々になって、フルーツプレートもバラバラに散らばった。

 何が起こっているのか、さっぱり理解ができないトモミたちだが、恐怖のあまり部屋の隅に3人で固まり、ブルブルと震えていた。
     ◇
 野外のコンサート会場。
 デスメタルバンドのステージは終わったが、会場内の狂乱は一向に収まらない。演奏が終わったことで、興奮の持って行き場がなくなった観客が、フロアのあちこちで傍若無人の大暴れを始めていた。
 そんな最悪のタイミングで、主催者から「本日はBAOBAO LUNの出演が取りやめになった」とアナウンスがあった。
 同国でBAOBAO LUNは、メタルとキュートなアイドルの融合として、このフェスでデビューすることが事前にリークされており、そのステージをフェスの目玉と捉えているファンも大勢いた。そんな一団から不満と怒りの声が会場全体に渦巻いた。怒りはデスメタルバンドの興奮を引きずったグループに伝染し、会場が極度の興奮状態にまでなっていった。
 このままでは間違いなく暴動が起きる。しかし、運営にはそれを止める方法がわからず、ただおろおろと見守るだけだった。
     ◇
 BAOBAO LUN控え室の室内モニターでこの様子を見ていたマーフィントンは、勝ち誇ったような大声を上げた。「会場が混乱するのも当然だ。このままでは大暴動が起きる。死者が出るかもしれない。これをC国サイドが知れば、BAOBAO LUNの解散がマイナスだって気づくだろう」と悦に入った表情で葉巻に火をつけた。
 そのとき、ドアにノックの音がして、チャイナドレスに身を包んだ女性が2人、控え室に入ってきた。2人とも背が高くて美しい女性だった。
「誰だ、おまえらは」とマーフィントンが強い口調で質すと、女性の1人が「主催者から、BAOBAO LUNの3人を運営オフィスにお連れするように言われてきました。C国本土の幹部から3人にお話があるということです」と答えた。
 ト
モミとヨウコは入ってきた女性の顔を改めて見て驚いた。なんと、アミューズの先輩で、さくら学院の卒業生でもある三吉彩花と松井愛莉だったのだ。思わず声を出しそうになったトモミに向けて、すかさず彩花が「黙ってて!」と目配せを送り、即座にトモミたちはそれを察して表情を戻した。
 マーフィントンは、葉巻の煙を吐き出しながら、彩花と愛莉を怒鳴りつけた。「運営オフィスに? ダメだ。まだ状況が決着していないので、彼女たちをこの部屋から出すわけにはいかない」と声を荒げた。
「連れて行くのなら、その前にC国の責任者をここへ呼べ。オレを誰だと思っているんだ」。ここで一呼吸置き、胸ポケットから小型拳銃を取り出すと、ニヤリと笑いながら「なんなら、ここでBAOBAO LUNの3人を消してやろうか?」と言った。
 今まで見たこともなかった拳銃を見て、とうとうBAOBAO LUNの3人は泣き出していた。
     ◇
 コンサート会場では観客の興奮が臨界点を迎えようとしていた。BAOBAO LUNの出演中止が火をつけ、まさに暴動に発展しようとするそのときだった。
 会場内に再びアナウンスが流れた。「BAOBAO LUNの代役として、本日はスペシャルゲストを迎えています。オーディエンスの皆さんは、落ち着いて、自分のエリアに戻ってください」
 ほんの一瞬、会場全体が静まった。
 そのときだった。前のデスメタルバンドを凌駕するほどの轟音が会場全体を揺らした。
 まるでパイルドライバーでアスファルトに杭打ちをするようなすさまじいリフ。会場全体はあまりにも衝撃的な音に驚き、暴れていた観客たちも雷に打たれたようにその場で動けなくなっていた。


【15】 BABYMETAL DEATH

 会場の音はモニターを通じて控え室にも届いた。リフが始まるなり、それまで座って泣いていたトモミとヨウコが電流に打たれたように立ち上がった。
 曲は「BABYMETAL DEATH」だった。演奏しているのはまぎれもなく神バンドだ。
「どうして......」。モニターを凝視しながら、トモミとヨウコが同時に口にした。それを見たマーフィントンが「おい、お前ら座っていろ!」と拳銃を2人に向けながら強い口調で威嚇したが、トモミとヨウコは立ち尽くしたまま、モニターから目を離さなかった。
 しばらくすると画面の左側から、マントを着けたすず香、由結、最愛が1歩ずつ踏みしめるようにステージ中央に向けて歩いていった。
 夢じゃない。今、野外ステージにBABYMETALがいる。
 すず香たちの姿を見たトモミとヨウコは、それまでのすすり泣きではなく、猛烈な勢いで号泣を始めた。まるで小さな子供ような大声でワンワンと。
 モニターの中で、BABYMETALの3人がマントをハラリと脱いだ。ラウドなバックに合わせて「death!death!」と会場を煽る。 
 観客たちは初めて見るBABYMETALのステージに、まるで催眠術にかかったように立ち尽くし、すぐに3人と一緒にジャンプを始めた。それまでの無秩序で暴力的な動きではなく、秩序のある健全なムードに変わったのが不思議だった。 
 「BABYMETAL DEATH」が終わると、すぐに「メギツネ」が始まった。
 日本的なエキゾチックなメロディーに乗せ、夜空を突き抜けていくようなSU-METALの歌、鋭いカミソリのようなダンスのキレでリズムの塊を切り裂くYUIMETAL、1小節ごとに表情を変えながら会場全体に幸福の風を送り続けるMOAMETALの笑顔。
 会場全体は騒然となり、あまりの衝撃で涙を流す観客もいた。
 次の「ウ・キ・ウ・キ★ミッドナイト」を終えるとSU-METALが引っ込む。ステージにはYUIMETAL、MOAMETALが残り、「4の歌」が始まった。シンプルながら強烈なリフをバックに、この国の観客が経験したことがないようなアイドルのダンス。会場にいた男性は、誰もが腰が砕けそうになっていた。
 控え室のモニター前のトモミとヨウコは、久し振りに触れるBABYMETALの姿に、陶然とした表情でステージに向き合っていた。
 マーフィントンはその様子にイライラしていた。いくら脅してもモニターの前を離れないトモミとヨウコに対して、いよいよ怒りがピークに来たようだった。「わかった。言うことを聞かないのなら、お前ら全員、殺してやる」と叫び、まずは座ったまま動けなくなっていたチェルシアに拳銃を向け、ゆっくりと撃鉄を起こした。我を忘れて、正常さを失っている。本当に殺す気になっているようだった。
 チェルシアの悲鳴が響いた。
 そのときに、控え室のドアが開いた。
「そこまでだ!」
 大きな声で言いながら、部屋に入ってきたのはブライアン・オオガミだった。ブライアンの手にも小型拳銃が握られていた。
「誰だ、お前は」というマーフィントンの問いには答えず、ブライアンは言った。
「マーフィントン、C国の政府とは私がすべて話をつけた。メイリンの両親の逮捕状は完全に無効になった。BAOBAO LUNはユニットごと日本のプロダクションのアミューズに移籍させる。そしてアミューズからはBABYMETALがニューヨークの音楽プロダクションに移籍し、C国でもコンサートツアーを行うことになったのだ」とブライアンは落ち着いた声で諭すように言った。
「そんな勝手なことをさせるか。だいたい、C国政府は自国民の不満を逸らせるためにBAOBAO LUNを育て、プロパガンダに使おうと思ったのだろう。BABYMETALだかなんだか知らないが、日本のユニットがコンサートをするぐらいでは、その目的を達成できないじゃないか」とマーフィントンは鬼の形相で言う。
 右手で拳銃を構え、反対の手でマーフィントンを指差しながら、ブライアンが答えた。
「C国とは、自国のアーティスト発掘、それに育成まで、責任を持ってニューヨークのプロダクションが行う契約も結んだんだ」
「そんな確証のない契約をC国が結ぶわけがないだろう」
「おいおい、アメリカのショービジネス界を甘くみないでくれ。若手のアーティストのスカウティングや育成だったら、日本とは比較にならないぐらいのノウハウが蓄積されている。C国とは、日本の音楽産業の乗っ取りから手を引く代わりに、自国での才能発掘、その育成などを今後10年間サポートする契約を結んだ。C国政府だって、強引に日本から人材を持ってくるよりも、自国で育成したほうがリーズナブルだと判断したんだろう。実にスムーズに契約を終えることができたよ」
 勝ち誇ったようにブライアンが結んだ。
「Holy shit !」
 マーフィントンはそう叫ぶと、自分の用心棒に「おい、そいつをつかまえろ」と命令した。即座に用心棒は丸太のような腕をネックブリーカーのようにブライアンの首に巻き付けた。ブライアンはほとんど表情を変えずにされるままになっていた。
 マーフィントンの怒号が響いた。「絞め殺せ!」
 うれしそうにニヤリとうなずいた用心棒が、首を締め上げようと両手に力を入れようとした瞬間だった。ゴン!と乾いた音が部屋に響き渡り、用心棒はその場でヘナヘナと崩れ落ちた。
 いつの間にか部屋に入ってきたすず香が、「ヘドバンギャー!」で使うマイクで後ろから用心棒の後頭部に一撃を加えたのだった。

「え? すうちゃん?」
 その場で誰よりも驚いたのは、トモミとヨウコだった。慌ててモニターに目を向けると、ステージの上では由結と最愛に加え、元さくら学院の同級生の田口華までが加わって、3人でミニパティの「ミラクル・パティフル・ハンバーガー」を歌っていた。
 ブライアンはマーフィントンに向かって、表情だけで「さあ、どうする?」と問いかけた。
 マーフィントンはダラリと両手をたらして、観念したしぐさを見せた。
 それを見ると、トモミとヨウコがすず香に駆け寄った。
「すぅちゃんが、どうしてここにいるの」
 弾けるような笑顔を2人に向けたすず香はモニターを指差しながら、「だって、BLACK BABYMETALだけじゃ時間が稼げないから、華ちゃんに来てもらったのよ。ミニパティの威力もすごいよね。見てよ、あのふにゃふにゃになったお客さんたち」とモニターを指差しながらおかしそうに笑った。
 萌えという感覚を初めて知ったこの国のオトコたちが、すっかり骨抜きになっている様子がモニターいっぱいに映し出されていた。
 すず香は彩花たちのほうを向き、「彩花ちゃん、アイリーンもありがとう。助かったわ。わざわざ香港まで呼び出してごめんなさい」と言いながら、ペコリと頭を下げた。
 彩花はいつものクールの表情に戻っていた。「いいんだよ、これぐらい。さくら学院の大事な後輩たちのためだからね。でもその代わり、こっちでおいしい晩御飯、ご馳走してもらうからね」とぶっきらぼうながら優しい口調で言った。愛莉はいつものようにニコニコと笑いながら、うんうんとうなずいていた。
 それを見届けたすず香は、「さあ、華ちゃんにもご苦労をかけちゃったので、SU-METALが仕上げをしてきますか!」と言うと、ブライアンにニコリを笑いかけた。
 ブライアンも大きくうなずきながら控え室のドアを開くと、「どうぞ」とばかりに左手で誘導した。すず香は、トモミ、ヨウコ、彩花、愛莉と一緒に、野外ステージに駆け足で戻っていった。


【16】 共有

 「しゃなりはんなりどら焼き姫」を終えると、華が満面の笑顔でステージの袖に戻ってきた。「久し振りのミニパティ、楽しかったよ~ん」と屈託なく笑う彼女とハイタッチし、再びすず香がステージに上がった。ここから一気にBABYMETALのステージが加速を始めた。 
 「いいね!」「ギミチョコ!!」「ヘドバンギャー!」「イジメ、ダメ、ゼッタイ」とアップテンポでつなぎ、ミニパティの搭乗でいったん緩んだ会場内は再びメタルのライブらしい興奮を取り戻していく。「イジメ」では、この国では未知のはずのWall of Deathまでが自然発生していた。
 ステージの袖でトモミとヨウコの燃え上がり方も凄まじかった。BABYMETALの振り付けは完璧にコピーしている2人は、自分たちのステージ衣装のままそれを踊っていた。
 ギミチョコの複雑なダンスも、YUIMETAL、MOAMETALと同等のクオリティーで再現している。ボロボロと流れ出る涙のため、完璧に整えられていたステージ用のメーキャップは完全にはがれ落ちていたが、そんなことを気にする2人ではない。「イジメ」のイントロが流れると、とうとう我慢できなくなったトモミとヨウコは、華、彩花、愛莉の手を無理矢理引っ張って、全員でステージの隅に出て行った。それまで目を閉じて、すず香の歌声に耳を集中させていたチェルシアも一緒になり、ステージ上ではフェスらしく華やかな全員での「ダメジャンプ」となった。
 そしてラストの「Road of Resistance」
 初めて聴く曲なのに、会場全体のコール&レスポンスがきれいに決まっていた。ステージ上でも、トモミ、ヨウコらみんなが声を合わせている。5万人が拳を天に突き上げ、声の限りを尽くして絶唱していた。どの国にいようとも、人間は同じ感情、同じ衝動、そして同じ感動を共有できる。
 すず香は満足そうに、熱狂する会場を見渡した。由結、最愛も、ラストスパートとばかりに、ダンスのギアをトップに上げた。
 そして最後にSU-METAL放った叫び声が、香港の夜空を突き抜けていった。

 かかってこいよー!


【エピローグ】 じゃあね!

 ニューヨーク行きフライトの出発時間が迫っていた。いよいよBABYMETALが活動の拠点を米国に移す。 羽田空港では、すず香、由結、最愛が見送りの一団に囲まれていた。3人とも、いったん現地の高校に転入して、英語の勉強をしながら、BABYMETALの活動を行う。半年後に日本国内のツアーが組み込まれているが、それまでは帰国の予定はない。
 3人が家族との別れを済ませるのを見届けると、メイリンとリンファがすず香に近づいてきた。リンファはいきなりすず香に抱きつくと泣き出した。メイリンはすず香の目をまっすぐに見ながら「お父さん、お母さんを助けてくれて本当に感謝しています。それに、トモミとヨウコのことも本当にありがとう!」と言った。
 すず香は笑顔でうなずきながら、黙ってリンファの髪の毛をそっと両手でなでた。

 その横では、トモミとヨウコが、由結、最愛と交互に抱き合っていた。
 トモミが目に涙をためながら「ようやくアミューズからのデビューが見えてきたよ。ステファニーも日本の生活に慣れてきたし。こっちが落ち着いたら、ニューヨークに会いに行ってもいい?」と言うと、最愛が「あったりまえじゃ~ん。ニューヨークではスーパー最愛ちゃんに生まれ変わって、びっくりさせちゃうよ、きっと」とこぼれるような笑顔で言った。

 ヨウコは完全に泣きじゃくってまったく言葉にならない。彼女の肩をそっと抱きながら、由結が「いいよ、いいよ、何も言わないで。由結と最愛のライバルは、ヨウコちゃんとトモミちゃんだけだから。一緒にがんばって、いつか同じステージに立とうね」と言うと、ヨウコは泣きながら何かを口にしたが、まったく言葉になっていなかった。
「何言ってるのかわからないぞ!」と笑顔の最愛が後ろからドンと軽い体当たりをすると、ヨウコは泣いているのか笑っているのかわからない表情になってうなずいた。
 最後にチェルシアがすず香の目をまっすぐに見つめながら言った。
「私の目標はすず香さんだけです。そして、3人の目標はBABYMETAL。これはずっと変わらない。香港で見た3人のステージは一生忘れません。でもいつかきっと、追いついてみせます。だから、先に大きなステージで待っていてください」
 すず香は無言で力強くうなずいた。
 そして「じゃあね〜」とみんなに向かって手を振る由結、最愛と一緒に搭乗ゲートに続くエスカレーターに乗り込んだ。
 しばらく進んだところでクルリと振り返ったすず香は、目に涙をためて見送っているチェルシア、トモミ、ヨウコの3人に向かって大きな声でこう言った。
「香港で言ったこと、覚えてる? あれ、実はあなたたちに向けた言葉なんだからね」
 3人が「何だっけ?」と顔を見合わせると、すず香はいたずらっぽい笑顔になり、空港全体に響き渡るような大きな声で叫んだ。

 「かかってこいよ~」

—— 完 —— 


注:この物語は、言うまでもなくフィクションです。登場人物、団体、国家、曲名など、すべて実在のものとは無関係です。同じ名前、似た名前などがあっても偶然です。